昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

不純な夜の淵

動機も忘れ去られた夜に食べられるために生み出された動物たちの鳴き声すらもとどかない、とフェティッシュな思いが紊乱させ、戒律を生み出すためのペシミズムに陥り、生きるために食べる、という罪に変換されるものが、さらなる罪を生み出し、打算され続ける者が、快楽のために食する傀儡として、中間点をも破壊し、散漫な意識を儀式の中で昇華させるための獲物として生み出された存在がぞんざいにあつかわれ、何かを貸し借りしながら、しなびた感情を合算し、散漫な意識に形式を生み出し、意識にもみ消される思いによりかかる動機が道具として扱われ、緩慢に作用する動機は、散漫なままに、あらゆる神と同一化するために真理をねつ造し、自らの激動により逸脱していく精神は、敬神を続け、形式的な罪を背負い、自らの罪だけが唯一の意味であり、価値は暴走し、価値の家畜として、誰かの動機を借り、道理をうながすだけの動機とは、誰かから借りたものだけが、自らを確かなものに変え、存在に光を与えるなど、となじるだけの正義などは、生み出された成否の彼方で自らを未熟に変換し続ける先に残るものなどあろうがなかろうが、御構い無し、だ。誰もが通り過ぎた後だ。雨はシトシトと地面をぬらし、何かをねぎらうようだが、私は、すべてが嫌いだから、嫌いなままにしておけば、誰にもとどかぬ歌は、とどかないままで、行方不明なままだし、出し抜けに何かを語るよりも、この夜によりかかり、何かを捉えるようなよろこびをあつらえるよりも、何かを飛び越え、優位に立つよりも、どうでもいいから、とどうにでもなるような瞬間に、主体性すら失い、制する間に不謹慎に描かれる夜があつかましくジレンマなどを伝えるから、退屈なものは、退屈なままにしておけば、体系化もされないし、経過した後にうるさくつきまとう者もいなければ、そこで要らない価値を突きつけ、モラルがどうとか、道徳を突きつけ脅すような連中がののしる間に生まれる廉恥などは、未熟な者が制するために騙るような物語が、有史以来、善悪を騙るから、そこで凝り固まり、価値がどうとか、うながすような馬鹿げた仕組みを持ち上げ、自らが優位に立つような仕組みだけが、確かな世界を作るのだ、と宗教的な汚穢を被るほどに、コマ送りの現実にごますりをしながら、しなびたラブソングで踊り明かす老いがなんだの、とうながすだけのエモーションが響く夜に打ち負かされようが知らないし、すべてを肯定し尽くし、何が正しいのかも知らないし要らないし、ここで死ぬものは無く、永遠すらも無くて、ただわずらわしいままに置いてかれる思いが解き明かす論理も、ここでこしらえられたものであるし、誰かや何かのツールでしかなく、ルールを生み出し、今をがんじがらめにしようが御構い無しだし、打算されるものや、参画されるものに屈折し、空腹を埋めるための愛がやましくつきまとい、付かず離れずを保てずに依存的になるのが、愛かとか、勝手に解釈し、現実に会釈すらできないからこそ私であるし、解決的な会話の意味すらわからぬし、分け隔てられても、何を分けて、邪魔だ、とのけものにしてるのかすら理解できぬから、解釈するよりも、自らで世界を作り直し形成し、懐疑的なものを生み出す以前に創造的で、何かに適任し、覿面するように、壁面に描かれたモラルの壁を叩き割り、壁を用いる以前に、壁を生み出すような価値が汲み取る意味などは、所詮は何かのツールで終わり、ルールの中でリズムを感じ、縛られた感覚に快楽を感じようが、感じまいが、それは、他者の感覚として受け入れる以前に、そのような感覚を良しとして受け取るほどに、自らを緊縛するために用いられた理性などに屈し、自らを縛るよろこびに耽るだけである。つぎはぎの面影の中で誰もが道化として、同じような思い出の中で同じような者を演じる。誰もが、同じような価値の中で屠られても尚、肯定し続ける先に現れるものは、何かを許す許さない、とうながすような善悪にゆらぐよりも尚、実直に純粋で、何かを従え、従わせるために圧力をかける以前に自らに行き着き、そのままの静寂を生きるだけだし、瞬く間に出し抜け、タグ付けされるだけの連理を溌剌と飛び越え、換算されるだけの成否が謳うモラルすらも心地よいリズムに変わるような軽さに至るべく、自らの静謐な動機に経緯すらも無いままに、過ぎ去る余地に生まれる物陰で清々しいほどに肯定する。