時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

清潔


 分裂していく思いは、区域を捨て去り、囲われるためだけに加工されるようなものなどを排除し、排外主義的な排除では無く、ただ無いものも有るものも、物として現れた途端に窮屈で退屈なものに変わるから、乖離しようというプロセスすらも超越し、もたらされる空間などをずたずたにして、疎外感にふるえる君の彼や彼女たちと同化するような冬におとずれる独特な空気感に犯される前に空虚感を引き出すだけの鬱々とした雪景色に夕景がまざり、神秘的だね、とか語るような詩的な昇華しか受け入れたくないから、ひたすら同化することよりも、どうにかなるさ、と投げ出すようなポジティブさで、諦めることように受け止めることから、こころの雨も止むよね、とか刹那に嘆じる思いなどは、今を束縛し、そこで捕縄される思いなどは、思うことに現れる情景だけが、現実であり、真実である事を認識しないから、しなびた思い出を持ち出し、思い返すことだけが、今に浸る闇に同化し、同情などを求め、貧寒なままに引き出す精神などが今をドレスアップせずに、今に背反し、儀式的なものにふやけて砕ける思いは、空間的な道化として存在することでしかなぐさめることもできずに、ことごとくに磔される自分を傍観する他者の視点で眺める先々などは、忘我の境をさまよい、酔い痴れることだけが、良しとされる。意味を喪失し、証拠ばかりを探すだけの現代的な病理に幸福などを求めるだけの世界性などは、欺瞞を生み出し、今に不満を見出し、引き出すものはといえば、ものの哀れだとか、そこであてがわれるものだけが、自由へといざなうのだ、という物神崇拝的な思想を延々と現代にまで引き継いで、引きずり続けた思いが今に懈怠を生み出し、奪い合うだけの体制が携帯する理由などに措置される利便性だけが、生をたやすいものに変えるのだ、という乱雑な思いが横暴に攻め入り、制限を生み出し、自らを不自由に変えることから、自由とは生まれるのである、という幻想などを生み出し、今に奪い合うための原理は、権利を主張し、自らを保ち、守ることだけに専念する限りにすべては、頽廃する運命なのだ、と疑うことも知らないコード化された人々の墓地をさまようゾンビどもが祝福を捧げる現在に唾棄する思いは、幼稚な思いを刻み、機械的な道理でさまたげることが、モラルなのだ、ということに疑いすら持たないから、用いられるものこそすべて!!と高らかに歌い上げる様相は、明らかに狂った様子だし、出し抜けるほどに、疎外感は増加の一途だしで、今をあやし癒やすことで精一杯である、と諦めのムードで慢性的な痛みは、献身的なほどに、自らを傷つけるという君が苦しむことをよろこぶ自分が苦しみを生み出すことを知らずに、同じような苦しみを繰り返し堪能していく。荒んだ思いが誘致するものへと運ばれていく文化的な苦悩から、空疎な自己が続ける対立から逃げ出すことを否定するような厳しく残酷な意識を製造するだけの政府や教育などのいっさいは虚偽であるし、今に教え込まれたものなどは、何かを得るためでも無く、何かを保ち、何かに逆らわぬために生み出されたコードに磔にされている自己を傍観するようなものであるし、やがて勝つも負けるも幼稚な仕組みの中で同じような原理を繰り返しひるがえすための闘争から、倒錯していくだけに至るし、いびつな精神は敬神に浸り、自らを見つけ出すこともできずに、何かを信心するから、自分も信じられないだけだし、誰もが強い弱い、とついえるだけの夜に得るものも無ければ、そこで得たものなんてすぐさま疲れ果て、今に忘れ去られるだけだし、惰性で生きるだけの今なんて何の意味も無い、とニヒリズムに浸っても尚、同じような日々は、同じように無意味に迫るわけだし、そこで分け距てるだけの意味なんて意味にすらならずに、意思すら持たずに、与えられた意味の中のサイクルを延々とめぐるだけだし、それこそ惰性でしかなく、出来合のものを信じ、そこでもたらされるものだけが、崇める対象であり、それこそ答えである、と軽薄に打ち解ける間に頽廃するものばかりだし、貸し借りするほどに帰り道も見失い、与えられるものなどは、惨劇しか持ち込まずに、用いられるものなどは、用いる意味ばかりを押しつけ、そこでギミックを生み出し、初初しさすら損なうための行いを延々とめぐるための等差を生み出し、汲み取る意味などは、今に阻まれるだけだし、達観するほどに感覚などは鈍くなるし、すべては、鈍色に変わっても尚、なるようになるさ、となすがままである私は、誰とも対話せずに、すべてをわかったように述べ、無責任ではあるが、そこで用いられる責任になんてとがめられるわけもないの、だ。