昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

感応


 孤立していく思いは、依然として堂々としているし、時代性が生み出すジレンマに苦しむことも無ければ、仏教的なニヒリズムに濾過されるための意味を整然とさせる必要性も無ければ、そこでむしばまれるだけの無へと帰還するための思想などは、思考停止におちいり、現実味を損なうのであり、そこで利用される限りは、無に至らずに、有限の中へと引き込まれ、自らを不自由に変える。何かに課せられた意味に嵌め込まれる精神は、敬神に至り、いぶかる先々で渇望し、膨張する意識は、質感を損ない、喪失感にたゆむだけの心情は、そこかしこで損なわれるための行いを引きずり、卑近な例を引き出すだけのレイシズムへと至り、いびつな精神が健気に形成する否定的な批判だけが出迎えられ、自らを正すために倒錯させる現在に規律を生み出し、散漫な意識は、迎合されるものだけの傾向を追い、自らを覆う物質的な猶予だけが今を神々しくするのだ、と惰性にみちびかれる一過性の事実に色あせるための結末に結合され、現実味を喪失し、記号化する夜に古ぼけた現実をかかげ、限界を生み出し、等差を生み出し、投与され続ける麻酔により眠り続ける陰鬱な意思が疎外されるままに果てない欲望を加速させ、今に枷を嵌め、世界を狭めるための幻想を謳い、たゆむだけの現実に返事もせずに駆除されるのを待つべきだ、と抑圧されるための精神を保つような均等性を謳うだけの形而上的な正確さなどは、性質をゆがめるだけであるし、物質が用いる拘束的な伴侶が示す整容などは、形成される疑問に加速していく意思が繁栄するままに流されることだけを正常だ、とうながす。惰性で導かれた彼らが起動する未来とは、契合されることだけが、真実として語られ、今に縁取られる精神は、敬神に至り、軽薄な原理を追い、偏執していくだけに至る精神は、規約を守るための正しさを用い、今を不自由に変える。豪放磊落なままに切り取る運命とは、時代に責任を負わせることも無ければ、見上げるものも、見下すものも作る以前に、そこに用いられる善悪や是非すらも飛び越え、途端に現れるものを持ち上げることも無ければ、捨てることも無い。用いられる前に描かれる真実などは、均一さを損ない、喪失感に汚され、形骸化していく今に意味を求め、恒久的な不安に揺らぐだけの生活などは、清潔感を求めるほどに、自らを汚すことだけに専念していくのだ、という汚れとは、外から持ち込まれるのでも無く、自らが生み出し吸収するものが汚らわしいものとして生み出す、この穢れという概念を定期的に注ぎ込むだけの宗教的な善悪が用いる正義などにふやける現在に負担や不和を生み出し、刈り取られるだけの意識は、彼らが決めた配分や、そこで分裂し、あくせく働き続けることだけが美化として、当たり前として機能していくものの不順さや、不自由さや、そこで生み出される利得とは、誰が生み出した兵器なのか?という疑問に至らずに、いたわることばかりを考え、還元されるだけの物として扱われることには平気で、感覚をにぶらせ、誠実さを謳うだけの現実性などは、制度を用い、何かを制止するための徳を加工し、そこで仮想するものを生み出し、現実を見せないように幻想に浸るべきだ、という現実をうながすこともしないで、支配され続ける便利な身体に射精され続けるつれづれの快楽を解体するような信用を謳う是非こそ、憎むべき敵だ、とうながすような法が要理を用い、詭弁を有し、有史以来引き継いだ犠牲的な観念を競りにかけ、興じる運命で強靱さを損ない、醜状を生み出し、何かを憎むべきだ、と叫ぶだけの正義などが、正常さを謳い、保たれる今などに何ら意味すら無い、とニヒリズムがほくそ笑む今を撲殺すべく、ぼくとつに現れる軽薄な夜に心情とは、永久を生み出すから、そこでの空しさを引きずるのだ、と加速していく意味の中での意味を喪失することなどは、苦しくもなんともなく、苦しむ意味すら求めない、とそこで意味を求めるほどにとめどなく現れる意味の奴隷として、働いても尚、空しさを引きずるだけの胸裏に潜む悪意を生み出すだけの正義が生を邪険にし、何もかもを馬鹿にし、すべてを空疎なものに変換するための機能としての正義を利用し、領土を奪うための戦闘から、倒錯していく精神にひずみを生み出すだけのリズムが偽装し続ける先々で対立を生み出し、奪い合うための闘争から、等差を生み出すだけの規律に唾棄させるものを抱き合わせても尚、まだ足りない、とまさぐる欲望は、不謹慎さを謳いながら、自らを騙し、殺めるための技法を用い、何かを否定することで快楽に浸るだけの人間の皮をかぶらされた被害者意識ばかりが高い悪魔どもの理屈がまかりとおる現在に現実すらも存在しない、という存在という定義すら破壊するような高みへとのぼる。