昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

凄艶


 神とは、神であることを辞めてから、はじめて神になるのだ、と自らに言い聞かし、神とは、何も知らずに無知であるから神であるのだ、と惰性に導く妥当な答えなどが、政治性に汚され、権限を用い、モチーフとされる意味を持ち上げ、自らを崇拝すべきだ、と疑うこともなく言い放つのが人間であるし、何も用いず、理由すら持たずに、何かを求めることすらはじめから持たぬのが、神であるのだ、と神であることの概念が外観を汚し、自らを迎合する限りに、何かに依存し、何かを求める幼稚なリズムは、リスクを恐れるばかりで、何かにかばわれることだけを求め、多目的に求められるための情報として、或いは質感すらも無く、関するほどにわざわいをもたらすような建設的な妄想を模倣するための偽装を続け、つたない意識に配される愛とは、間からほとばしる影響を延々と貪るだけの貪婪で鈍感な愛に麻痺した位置を引き出すための愛と名付けられた形ばかりで、名ばかりの絵空事が今に縛りを与え、あいまいに示唆する意味などに配される愛などは、愛としての機能すら持たずに、用いられることに常にいらだち、求めるための愛が解読するものなどは、会得するに至らず、改善されることも無ければ、そこで毒々しく迫る意味に苦しむためのためらいを絶えず生み出し、互いをとがめるための技法だけが語られ、かいがいしく迫る意味などは、晦渋さを用いぬから、徒に利用されるための簡単に処理されるための答えを普遍的にばらまくというウイルスから、奪い合う抗体から、退行する意識は、退廃的なコールを続け、独創的であることを忘れ、何かの化身として、形式的なものの道具として、偶像と偶然の隙間での道化として生きることだけが、生を司る簡素で簡単な理由なのだ、と勘違いを含んだ毒を大量に飲まされているにもかかわらず、確かさの足枷を嵌められ、そこで苦しめられることを娶ることだけが、正義であり、それこそが愛だ、と語られるだけの惰性な愛に性質は無く、ただ死を恐れるばかりで、瞬時に消え去り、そこで悶えるための瞬間を愛せぬから、あいまいに生きることに理性を謳い、そこで孤立し、情報が途絶えることを恐れる限りに、陰る真実とは、本質を失い、喪失感に苦しむばかりで、互いを幼稚に示すだけの矜恃から、共鳴を求め、同調する限りに共鳴したものが反響する限りに、すべてはうるさく感じるのであり、あらゆる反響とは、反省をうながし、罪を背負うべきだ、と語った人間を神として崇める限りに、あいまいに思案するものが、しあわせなどを騙り、そこでカタルシスに至らせずに、ただ私に貢ぐべきだ、とうながすような統制や統合などが正常を謳う限りにあいまいに汎用されるものが論難を用い、モチーフを破壊するための儀式へとうながし、運命論者として、損なう限りに時間とは、負うものであり、そこで老いを重ねるための時間として認識する限りに、時間とは重みを与え、動くことを憎むことでしか支払われないのだ、と支払うという概念などは、資本主義的な考えに還元されるための反復運動を現在にもたらし、そこで抵抗を加えぬから、そこで意思を持たずに、ただ意志を用いるということは孤独に至るだけの催しなのだ、と即席の理由は、自由を謳うばかりで、何が自由かすらも知らぬから、自由化を謳うばかりで、何かを奪うことばかりに重きを置き、赴きを破壊するための趣旨を持ち、ただ楽しむべきだ、と快楽主義的なものへの収監へといざない、軽薄な自己啓発から、幾度と反証する物陰で、降誕する神などは、限りあるものが誘致した欲望に関したものを命じた物であり、用いられる物質をたずさえる限りに立場を用い、何かに関するほどに、感覚とはねじ曲げられ、毎日におとずれる恐怖が繁栄するだけに終える日々とは、貧寒な動機をもたらし、感傷的なファシストとして、独裁的なレジスタンスから、新たな独裁者を生み出すだけの汚穢を絶望的に倍増させるだけの調和から、惑星的なシナプスを狂わせるほどの補足から、舗装される真実の道を歩いている限りに点呼し、呼びかけられるままにフラクタルな者として、分裂し続ける限りに自らの証拠を喪失し、宿る意味も幼稚な裏切りに示唆され、支配的に感応するものが感覚を損なわせ、奸悪な者と知れ、とうながすような者こそ自らの奸悪さに気付かずに、何かを否定することに気配を隠し、何かにいざなわれるままに転換されるものが懸隔を生み出し、緩衝する先々で対比されるだけの優しい意味に居心地を求め、誰もが何かを許すというよりも、何も感じぬように何かを犠牲にすることも無く、ただ罪を背負うなどという無駄な感覚を捨て、現れるルールなどは、思うほどに阻むだけのものであるし、あらゆる法で囲われ、苦しみを延々と増幅させ、遠因をも破壊し、近似するものを憎悪し続けることだけが、幸福であるという論理をたどるような哀れなどを超えて、自らの鈍間な意志に講和をむすぶ。