昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

監獄


 思いとは、どこからやってくるのでしょう?と聞く彼女の答えに反響する真実とは、どこにも存在せず、答えをひるがえすための答えが汎用され、有する価値の中で裁かれるための謀りにより磔にされた自己もがりがりにやせ細って、補填されるものはといえば、利己的な面影を象徴的な存在に変えるための崇敬から、崇拝に至らせるまでの偏りを示す権力的な支配なのだ、と妄想狂たちがやがてレジスタンスに変わるような手品的なまやかしから、慢性的な痛みに還元されるための平均的な夜に適用するための普遍性を植え付けられ、意識の中で磔にされるやましさを罪に感じるのだ、と妥当な意味に罪の意識を迎合するための儀式的な過ちを課せられた罪深い罪人としてさいなむ自らが延々と落ち込む先で対立を続け、退廃するだけに至るような現実性に迫る制度などは偽物なのだ、と誰も叫ばないから、僕は叫ぶのだ、と若者たちは、自らの立場は利用しないが、若さを利用し、抵抗運動を続けるが、自らの偏向に気付かずに、誰かが偏っている限りに、誰もが勝ち誇りたいから、と補助されるだけの生き方に感性などは死滅し、示す意味と示される力の間でもやもやし、暴力的におちいる、という構造から放たれずに、自らを廃棄に追いやるだけの価値的なまやかしから、緩慢に示される意味からの排除を恐れるから、何かを排除し、疎外させることにより、自らの位置的な力を正すための言葉を吐き出し、掃きだめのなかで演技を続け、自らのエゴを捨て、中央集権的な権力の中で示す権威だけが、自らの正しさを名称に変化させ、そこでの正しさとは、高学歴であり、理性的であり、社長であり、たくさんを持つ者だ、と羨望の先に現れる憎悪を増幅させることだけが幸福である、とうながすような凡庸な価値の中でカタルシスに至るべく、暴力に統合されるだけの無記名の先々で退廃的な理想を競争させるだけの白いカンバスに描かれる真実は、真実を騙るだけだ、と惰性にうながすことすら誤りであり、何かに反するための否定では、何事も超越できずに、そこから抜け出せずに聖地を偽装し、まやかしを次々に生み出す機械として、成立するための意味の中で個性をかき消すための末期的なキャピタリズムが支払う手切れ金を受け取り、適齢期を過ぎれば廃棄処分にされるだけだ、とうながすような悲しみの労働者たちの背反のための歌や、デカダンスを加速させ、仮想的に支払われる痛みへの代償から、対象を捨て、対立を続ける先に描き続けるものが真実へと変わるまで、私は、私の意味を恒久的に追求するであろうし、あらがうほどに滞留する攻撃的なものの汚穢や、終わりを示すだけで、先へとつなぐ賛美を続けぬから、そこにとどまるのであろうし、あらがうほどに、ここでの苦しみとは増幅するだけだし、出し抜けるほどに孤独は増すし、毎日におとずれる寂寞に耐えかねず、何かに偏るほどに孤立するし、つたない意味を加工しながら、ギミックを加工し、自分すらも解き明かせぬような謎を生み出し、汲み取る意味を履き違え、配備される間に介する理由は、画期的な罪を帰巣させるための意味を次々に引き継ぎ、償いを求めるばかりで、惰性に生み出される答えの中で達する達成感などは、課せられたものから抜け出せずにそこであらがうために生まれた簡易の達成感であり、そこでの満足などは、何にも潤いを与えずにすぐさま退廃する。互いをとがめる利己的な商法から、症状は悪化し、あいまいに示唆されるものが緩慢な支配を次々に打ち出す魔法から、混沌としていく意識的な離別から、立証されるものが立ち塞ぐ現在から抜け出すべく、永遠性をたくわえ、あいまいな理想を追求するよりも、要理が示す実直さなどは、事実を、事実として受け取るほどに舞い込む過ちに気付かずに、起動するものだけが、正しさを証拠に変えるのだ、という誤りから、悟性を持たずに生産的な価値だけが、画期的なものを生み出すのだ、というものの踏み台として、ひとりを頂点として、支える会社からの脱兎から、たくわえるよりも、枠からはみだし、蓋然性などを示すような計算的な現象を飛び抜けるような快楽の傀儡として求める快楽よりも、自ら生み出す自慰的な快楽の傀儡として歩くことを罪など、とうながすような宗教的なファシズムが支配するだけの法を切り裂き、対峙し続ける意味との別れを告げ、追憶に貧するよりも、比されるための存在を誇張するために何かを着込むよりも、ここで居心地が悪くても、惑星から離れ、たったひとりで孤独な理智を補完するために帆を張り、宇宙空間を旅するビートに乗り、能動性だけ、と同化し、同質なものなどは、自らに劣るものを見つけるための平等を謳いながら、絶えず、自らにこそ価値があるのだ、と大声で叫ぶことが正解など、とうながすような過ちにすら気付かずに、誰かを軌道修正させるための監視から、社会という監獄の中での正義を追い求めるほどに悪意とは充填していく。