昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

純粋


 誰かのことを自分のことのように思って怒るなんて、なんと空疎で、満ち足りない、と思いながら日々を過ごすことだけが、正しい、と思う連中の支配を受け、いい気になるなんて、馬鹿げている。だが、健気であるとは、こういう馬鹿げたことを棚に上げて、自らを高いところに置くような、やり方こそ、卑怯で空疎なものである。誤りとは、誰かに導かれるものではなく、自らが見つけ出すものであり、何かに動かされずに、自らが動くことだけが、善悪を用いる以前の、純粋な行動である。砕け散った後にひろがる面影も、ただ重みを与えるものだけに変わり、なにかをものがたる必要性もなくなり、ただ瞬時に旋回していく意識を模倣するだけの自己を検疫にかけながら、観点に疎外され、壮大な意志を用い、短絡的な動機と同化せずに、食い物を撮り続けるだけの戦列から離れ、蔓延る悪意を前衛的に捉え、抹消されるだけの日々の駄犬として、さまよう皮肉を与えるだけの病理から放たれ、慢性的な痛みをかかえる法から放たれることだけが、唯一自由をもたらす以前に自由であることを騙る以前に、ここで確かなものとして与える影響だけが、ここでの意味をつかまえ、確かなものへと変化させるための儀式を用い、なにかを引き入れることだけが、ここでの確かさを語るのだ、と偽装されるための真実を用い、割れそう頭をかかえ、惨憺たる意識に配備される愛などは、間を埋めるために通り過ぎるだけの愛に過ぎず、すべては通過点であり、通用しないものばかりだ、とニヒリストは自らの物語を呪いで黒く塗りつぶし、悲観的な観点でしか物事を見られずに、見つめる先にいつも靄がかり、かけがえのないものなどは、何かに賭けられるものであり、掛け違ったら最後、おいてけぼりをくらうなど、と魯鈍な精神がハーモニーをかなでながら、乖離していく理解者たる者とは迎合的で、契合されるためだけに、ためらわずに従うことでふわふわしながら、不安感を煽るだけのビートが緩慢に作用し、規律を守るために保たれる均衡から、混同していく意識に迫る形式的な汚穢から、改善されない今に意味を用い、一縷の望みすら用いずに、人工的な楽園を歌う黒い太陽たるボードレールの物陰に拡散される意識的なデカダンへと引き込まれる意識的な王立から継続された、悲観するための規律から、記号化される思いが監獄に詰め込まれ、処刑される日を待ちわびるための生命が躍動しながら、緩和しきれずに、そこかしこでぶつかりながら、互いの衝撃に耐えられずに破壊される日々よ!!と嘆き悲しむような詩的なオウムどもが叫ぶ動力を失った過去から引きずる遺産から、換算されるだけの日々を悪で加工するための品位が貧寒な思考を持ち、保たつために隷属し、連続する今に意思は引きずられ、ここで簡単にむすばれることこそが、愛である、と打ち付けられるための犠牲として、制圧され、抑圧されるための緩慢で軽薄な人間として名付けられた空虚な箱として、あらゆる軽薄さを加工するための品格などを謳い、奴隷的な文句でもって、なにかを騙す商人として、或いは、それを証明するためだけの証人として、あらゆる破壊を生み出すための器具として、豪勢な拷問を傍観するための観衆として、見ることが背くことになるのにも関わらず、自らは無関係である、とうながすだけの保身ばかりの形骸として生きるほどに還元されるほどに空疎になっていく今を担うほどに、自らが屈折していくことに気付かずに、自らを置いて行くことだけに専念しては、過去の中でしか生きられないような者として、いくばくかの可能性すらも食い尽くすような貪婪な者として、商品価値を失っただけに過ぎないのに、ここでは形あるものには、終わりが来ないかのように示される間に閉め出され、そこで私怨を生み出し、なにかを犠牲にするために攻撃を加えることが正当性を用い、モチーフとされるものを破壊できずに、演じる者を延々と破壊しているから、なにも変わらずに、同じようなものが、同じようなものを生み出すためだけに利用され、同じようなことを何度も平気で繰り返すための規律から、軌道修正もできずに、出来合の真実は、なにかをでっち上げることで、自らを正しいかのように示すことに寛容さなどは砕け、かいがいしく貪る動機が無作法に迫り、無法者として捕らえられ処刑されるのを傍観するよろこびだけが、唯一多幸感へといざなうのだ、と神はカタルシスにいたらせるための自己犠牲を終え、応益を求めるよりも、とめどなく吐き出す機械として、気配を攪拌しながら、だれともだれとでも一体化できる便利な身体として、懐疑的なニヒリストを打ち砕くような絶対的な父として、或いはすべてを超越し包括する母であるかのように示すような独善的な偽善者として、犠牲的に生きるべきだ、とうながすような世界よ、さよなら。