昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

電脳化


 眠れないほどの闇を作り出す装置や、悔悟をため込むための身体をフラクタルにするために、何度も分裂し続ける存在を捨てた機械の身体を措置し、配備される間にもとづくエゴをかき消すための洗脳を続け、大脳皮質を切り取るレーザーや、短絡的な同期を終え、高熱に耐えるほどの身体に損壊していく自由は、理由を捨て、いたずらに消費されるための身体を性的に配置し、あらゆる快楽に充填される依存的な支配を施す麻薬的な扱いを受けるための受動的な身体であるべく、与えられる快楽は枢要なものや、須要なものを受け取るための交換可能な身体として、存在を不確かなものだ、と誤認させ続けるために回路をいじられ、慢性的な痛みを加えられ、いびつな観念を迎合するための人工的な記号から、感応するための触手により、まさぐられる空疎な関係から、開発された後にひろがる交配するために荒廃させられた精神に用いられる痛みをリロードするために思想を廃棄処分にし、憎しみを増加させるための労働から、淘汰されるための身体を損壊させるための自由で拘束させられる今にいたる病に過ちを謳うだけの制度から、感傷的な条理をうながすためにためになびく価値をカタストロフにおいやり、カタトニーにいたらせるためにたれ込まれる理由から、磔にされた君に迫る過ちで加工した品位などが、規律などを作り出し、何かを過ちだ、と認識させるための罪が価値をうながし、換算されるだけの脳内で豊かさなども人工知能に指図され、すこしのさじ加減で、自らの満足も埋まるというような空しい誤りから、寛容さを滅ぼし、奔走し続ける精神の終わりを迎えるための強制収容所から、揺動されるだけの神経が用いる空疎な悲劇の子供として、あらゆる善意の敵として、虐げられるだけの空疎な身体の保管者として、過ちで埋め尽くされた代用品として、共依存的な関係に爆砕していく意識的な終わりにみちびかれるための多面性をさまよいながら、自分というものを持つほどに損なわれていくのが、存在の危うさであり、思想の恐ろしさである、と示唆するような精神分析的な落伍者がひもとく価値に基づいた正当性から統一化をめざすような正常さを歩ませるためのプロセスこそ、独裁的な心理であるし、用いられる正しさとは、絶えず今に痛みを用い、痛みによる恐怖を利用し、正しさへと引き戻すことを、正当化するような正しさを持ち寄り、正しくあることだけが、ここでの価値を正当化させるのだ、という過ちを正すこともできずに、正当化されるための価値とは、正当性を持たされ、そこで構築されるものの正しさを正しく評価させるための正しさを敷衍させ、貧寒なものに放置されるだけの過ちを加工しながら、その他大勢を批判的に出迎えるような私の理屈すらもこじれる間で商品化させ、そこでの価値を邪推するほどに価値の中で自らを倒錯させるのである。あらゆる法理に洗われる以前に、ここに現れるものなどの価値を超越する。あらゆる意味とは、そこで超えられるために現れるのであり、そこでの幼稚な仕組みに理屈をうながしても、空しいことと空腹には勝てない、と勝敗は、無機質な善悪に無辜さを求め、些細な意味に組み込まれた途端にすべてを悪に仕向けるような呪詛をシステムに向けて続けるようなゆがんだ価値観に相違していくような正義を盾にし、憎しみにより、自らの力を増加させるための対立から、簡素な自由に用いられる独裁的な主体性から、制度に付着するフラクタルな傷や絆などで操作し、同じような価値の中で和むかのように仕向けるほどに同族嫌悪は進み、外へと向けられる憎悪は、絶え間ない嫌悪を生み、すべてを破壊するための慈しみから、異物感を取り除くために存在から抜け出ようとあらがうほどに、価値の中で屠られるための便利な身体に配役されたものを演じるほどに物質からは抜け出せずに、時間を切り取るほどに帰路などを失い、存在理由を求めるほどに、迫る孤独感に打ち勝てずに、何かを破壊することで増していく快楽の虜になる。実感などは、実体すらもない今に即されるほどに、過去へと成り下がるような誤りを即座に配するだけの傀儡として、時間の中に取り残され、そこで統合されることを求めるほどに遠のく意識は苦悩をかかえ、今に混濁していくほどに苦悩とは加速し、すべてを枷に変え、自らを苦しめるための理由を排斥しながら、とむらわれるための虚空へといざなわれ、ないがしろにしている存在が求める自由により、自らを不自由にする。