昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

生後


 ぶしつけに解放を謳う自由が余罪を追及し、観点を疎外させるような横暴な意思を遡及するだけの反抗的な数理にもとづく転換から、感染していく痛みをうろたえながら、消費するようなうとましい苦しみなどは、すぐさま消え去るだけだし、惰性にうながされるものなどは、ただ消費されるための価値として今に備わる欺瞞をうながすだけの堕落した主観が導く正しさにより支配され、示唆されるものだけが、確かさを着込んでは、混濁した意識を徒に追い込み、自らの価値に密接になるように仕向け、確かな愛と名付けられたものなどは、飼い慣らされ、売買されるだけの資本主義的な凋落を生み出すだけの奪い合いなどに転化していく愛などは、愛と名付けられた途端に、価値を見失い、価値として名付けられた途端に、物質的にうながされるものだけを、愛のように昇華させることだけが、ここでの正しさをうながし、たしなむ意味や、分裂していく思いに専横していく痛みや老いやらが迫り、世界を狭めるだけに至らせるような痛みをドラスティックに変化させ、そこで関係するほどに、愛とは、形ばかりのものに費やされるための虚偽を絶え間なく生み出し、いくばくかの可能性は、行き場を失い、居場所ばかりを求めるから、恐怖ばかりが増えるのであり、そこで敷衍するものなどにおちいる恋などは、行為に貧するだけで、本質的な価値についやすべき価値ばかりを求めるから、本当の愛はどこ?などとさまようことだけが、価値のように示すような間柄に仕向けるものなどは、価値として崇められるだけの独善的な手法から、フラクタルであるほどに、負担ばかりが迫り、カタストロフに至るのだ、とロストワールドをさまよう保守的な者どもの奴隷として、狎昵になるほどの、こじれる後先は、同一化を求め、統合性を謳うころから、ここでの望みとは、望むことにより屈折し、偏りを絶えず生み出すだけに至り、いぶかる先で、いびつな敬神を謳いながら、実体化もされず、群れるほどに無駄なものを捕食するばかりで、貪婪な欲望は、あいまいな今を捕食するほどに、その欲とは加速し、欲そのものが枷に変わり、自らを太らせ、身動きを取りにくくするのだ、という意思を謳うような宗教的な美辞麗句に仮想するものなどが利権を求め、形成されるものに経験を謳い、法でがんじがらめにするものから離れ、蔓延る悪意とは、正義を用いることで加速するのであり、そこで正しいとうながされるものに捕食されるための悪を捏造するような正義こそを改正し、正しくあろうと仕向けるよりも、誰もが独立し、齟齬をきたすものなどを絶えず生み出すだけのスキームから離れ、配備される愛などが憎しみを補完するまでの軌跡にからまる構造的なショービニスムにからまる解放の歌などは、所詮は短絡的な自由に指図されるための奴隷として革命に従事するのだ、と加勢するほどに苦しみとは絶えず生まれ、巻き込まれるほどに自由であるための闘争とは、自らをどんどん不自由にし、生み出された偏りにより、価値とは狭まり、寛容に処理できずに、ただいびつに示される観念は、軽薄な思想を纏い、自らを正しく仕向けるほどに背く意思は、何かに服従し、権力に反する革命ですら、自らの権力に屈し、屈折し、絶えず苦しみを生み出すだけの独裁的で独善的な事業へと変化し、保たれる意味とは、そこでもたらされる苦しみを横柄に往復させるための生産的な仕組みから、仕組まれた罠へと自ら嵌まり、そこで仕組みに気付いたとしても尚、システムに囚われ浪費し続ける今に無抵抗なままに、こしらえられるものに席巻され、悪化していく痛みから、陰鬱な焦土を孤独に徘徊し、配下に下るほどに管だらけになった身体に補完される苦しみを存在という住まいに絶えず与え続け、つたない意識が用いる本質的な苦しみを再現するための反復から、そこで反芻するものがこしらえられるものが絶えず軋轢を生み出し、奪い合うだけの価値が与える形有るものの祝福が修復するものなどは、そこでの正しさをただ引き裂いて、対価を生み出すほどに退廃的に担う意味を背負い、でたらめに歩くほどに、補正される苦しみを何度も体現すべきだ、などとうながすようなののしりを超越し、ことばをつむいで、続く限りに生み出されるものなどは、絶えず惰性なものだ、とはっきりとうながす。