昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

こぼれる、悲劇の汚穢。


 永遠性に制限を与えられ、聖戦をくわだてるだけの惰性なけが人たちが配下になるべく、たむろする奴隷制の夜や、接続されるための生命が精神系をこわされ、神明にとろけ、軽薄な論理の粗大ゴミを集め、倦怠感におののきながら、堅持する理由を哲学的に消費し、弁証法をつづけ、どちらに対しても大して正しくもないものが屈折していき、支配される引き出しの中で、懐疑的に逍遥し続ける童心がつれづれこわされていく願望の住処で、幼稚に錯乱する現代的なルールの中で束縛され、起爆し続ける怒りがつれづれと消費されることが、生産的につながり、ここでの生活を清潔に保つという幻想の中で計測されるための生き方を弔うために、私は精白な夜空にかなでる明晰なメロディーが、文明に責任転嫁せずに、自らの責任すら自らで負わず、誰の責任も完璧ではないから、ここでみすぼらしく散るのもありか、とあらゆるありかがゆるぎ、有罪を告げるだけの大したこともない者どもの卑屈な飛行から、貧寒な歴史を接続するための観念などは破壊すべきであるし、そこで書き込まれるアドレスなどに送り返すメールすらなく、つたない意識が伝える正義の犠牲になるために、情報操作され、情動し続ける精神などが持ち出す正否すらくだらく、空白を埋めるための答えでしかなく、太古からなびく永遠に制限はなく、儚く散り、瞬時に散り散りになり、沈積する物陰の仮泊を終え、永遠の船出へと至ることに距離もなければ、数理すらなく、ただ暗くひずむだけの論理の隙間にひずむ義務的な永遠が打ち出す制限に収まり、凄艶を謳うよりも、動機は果てしなく歯がゆく奥ゆかしいからこそ、そこで虐げられても尚、従えるものの罪を背負う必要性すらもなく、そこで押さえ込まれる理由すらもないから、ここで用いるもののほとんどは、外から運ばれてくるだけだし、誰の理由すらも必要なく、また自らに理由すら必要もないから、そっとゆらいで、季節を食べ尽くしても尚、欲しがるような捕食者にはなるなよ、と泣き叫ぶ風も、どこかなつかしく、と謳うような詩的で叙情的な情意から、移行していく瞬間とは、息吹くためだけに、ここでためらいを生み、ちょっとした隙間に色彩を与え、真相を不確かなものに変え、そこかしこに蓋をしては、あたためなおし、あらがうほどに補完されるもののほとんどはルサンチマンでできているし、出来合の真実を謳うために、ここでの統合を求めるような正常さこそ異常であるし、そこで常道を歩くべきだ、と歩くことを罪に変えるような大人こそ、卑屈な模型であるし、あらゆる相違から、同意を求めるほどに錆びる瞬間を保とうとするほどにほとんどは破綻するものだし、カタストロフに至るからこそ美しい、と語るデカダンスが尊さをまぶし、あたかも高級な物のように見せるような間から、ほとんどの意味とは腐るだけだし、堕落しても尚、荒く時を引き裂き、時間の外に出ては、宇宙をつくったりこわしたりしながら、しなびた論理が措置する思想などの配下にはならず、ならず者のままで徘徊し、掃きだめにひそむ欲望が暴走し、呆然と立ち尽くす君が餌になる番です、とお立ち台に上げられ、また処刑台にたたされ、屠殺場に運ばれ、バラバラになる快楽は、かいがいしく何かを貪ることで虚空を消費できる、と勘違いしていることのカラクリを説き明かそうともせずに、快楽には従順であるために送られる脳内からの信号をさえぎり、ここでの快楽とは、何かを傀儡にするための快楽である、と性悪説カタルシスを求め、自らを正当化するためのみじめさを啜るころには、降誕する神も、愚かさに嘆き苦しむのだ、と惰性に謳うような性善説的なカタルシスも肩透かしのように感じるし、関わるほどに、世界とは軽快さを失い、善悪に左右され、消費されるための精神を保つための娯楽に奔走し、本当の楽しさに気付かずに、創造性をすたれさせるのだ、とエゴイズムやナルシシズムをかかえ込んで、混濁する意識が無神経なものを拒否し、狂死するような間にそそがれる無念さが同率なものを探し、定めるものの不自由さに崩壊しながら、かさなる出来事は、自らの重みにより圧縮され、瞬間に収まる永遠をさまようのだ、と妥当にみちびかれる時間的なまやかしから逃れるために、制限を持たずに、この命とは、存在を示すこともしないで、何かを認識するために産まれたのでもなく、デリカシーもないから、内外に果てることしか考えられずに、外から現れるものの外に出られないから、そこでの考えとは、そこでの考えに収まり、何が正しいかすらも見られずに、与えられた答えをさまようことしかしないで、何の正しさを伝えられるのか?。