昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

快楽的な子供の国


 運命なんて信じたって、ろくなものでもないと嘆く君の結末に相似していく所以や、欠如していく思いに忍ばせる場面が博徒と化し、生きるとは運であるのだと宣言するような幼稚なギミックをすなどり、一体感などを求める安易な情報に揺動されるだけの神秘論者や、悔悟を謳い、垂涎し続けるだけの落伍者どもの巣窟が用いる普遍性などは、弊害を生み出すだけなんだと剣呑さを謳うほどに浪費していく思いが蓄積していく苦悩などは、誰も相手にせず、静謐な苦しみとは自らが孤独に解消すべきものであるし、あらゆる苦しみとは今にいぶかるほどに現れる苦しみとの対峙を続けるほどに、そこでの苦しみとはそれほど感じるべきものでもないのかと、感傷的な君がいだく居心地などは、所詮は今にも消え去るような儀式的な昇華から、消費されるための身体で他者に介し、あたかも生きて居るかのように示す容易な存在認識などは、存在していることを確かめるだけの儀式であり、ただ他者を介するほどにやせ細る身体を消耗するほどにやさぐれていく観念は、何かを否定し、軽蔑することにより、死を乗り越えたつもりいるような漂着物や、磔にされるほどに増していく快楽の虜として、擬態化する思いは、対義語を求め、大義を謳いながら、排斥すべき革命の子供として、あらゆる形骸をあさる餓鬼として、画期的な結末で渇望し続ける欲動するための大衆の中で居座れば居座るほどに増していく渇望や、約束を破るためだけに何かを愛するような契約や、迎合されるものに踊らされる道化として、解消されない欲とひとり遊びを続ける獣として、現前に保たれるものなどは、何かにもたれかかりながら、借り物の身体で死を解析しながら、しなびた意思をたずさえ、ここでの生命とは、何かを引き継ぎながら、次々に続けることのスリルを確かめながら、いぶかる先に現れるコードや、轟々とうなる統一感などを求めるだけの快楽的な信仰へと昇華していく現実性や、生後からあらがうことを目的にしている私は、誰もが誰かを呪いながら奔走し、本質すらも見失っているからこそ、私は私の指針として、詩神との対話を続け、空疎な自分などは、自分自身が作り上げた幻想に過ぎず、神話的な悔悟の鍵穴に差し込まれる鍵などは、所詮は誰かの答えが生み出した鍵に過ぎず、何かを飢渇させるための獰猛な事柄が生み出し、拘束するための次なる枷を誰かに嵌めるだけに至るような教育などは、何かを訓育し、そこで奴隷化させるだけに至るのだと謳えば謳うほどに、自らが奴隷と化することに気付かずに批判するほどに示される偏りとは、自らを閉め出すだけに至るし、やがて勝つも負けるもなく、ただ原子になり、新たなサイクルにより、物体や物質であることすら否定され、批判的に消え去るだけの他者を介した借り物の身体とは、利口に消費すべきであるし、誰もが求めることだけに偏りを示そうが、ここでの満足とは、どこまでも続く満足でもなく、どこまでも続くものでもなく、そこかしこで摩耗し、守られるほどに、そこでの立場などを利用し、理念などを用いながら、欺瞞ばかりを続けるから、誰も信用できなくなるものでもなく、誰もが何かを怪しむからこそ、正しいものも生まれるのであり、そこで平行を求めるよりも、偏るものを無理矢理に平行に戻そうとするほどに、どれもがバラバラになり、担う意味などは、似合わぬ意思などをかかえ、相似するものを恨みながら、自らの意志こそすべてと、占う先に羨むことばかりが増え、ここでの行動とは、何かに同化することでしか、そこでの満足すらも生み出せぬものなのかと嘆く先々で敗残していく意思的な汚穢をすなどるだけの理性的な滞在から、介する間に生まれる退廃的な罪の意識などは存在せず、罪を罪として認識することにより、その罪とは形作られ、誰かに消費されるために与えられる罰として、さらなる苦しみを認識すべきだと他者から強要されることにより増していく罪から、意識的な罪とは、自らに罪を課せ、世界性を狭め、場面的な苦しみや、愛しむほどに憎むことに専念し、深い自己愛は、誰かを責めるように自らをいじるよろこびに耽り、憤懣を他者にぶつけながら、自らに増していく快楽から逃れられずに、そこで解消される思いは、凄艶な時に殺められながら、あいまいに娶る者との交合とは、性的な思いの回収に過ぎず、そこで改善されずに、ただひたすらに追い求めるだけの快楽の傀儡として、あらゆる悲劇を勝ち取るようなよろこびを敷衍させながら、苦しみの子供として悲劇を繰り返すだけの機械的な反復から、渇するだけの精神は、陰鬱な焦土で、ただ無くしたものを探し続けるだけの欲情を自らの中だけで永遠に繰り返す。