昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

あいまいな幸福


 死を遡及させるこどもたち、論理的な孤独をかかえこんだ時代性を飛び終え、得るものなどは、嗚咽にまみれ、自らの観念の濁流の中で継続的に現れる記憶の気配を充填し、ひたすらに孤独を堪能するような能動的な発散から、応益を求めるだけの浅ましい感情が還元させるために、思いを可燃させ、捻出される熱量だけを数理的に測られるような仕組みから、朗誦される真実のどれもが、誰かをおとしいれるための窮屈な価値であるし、絶対的なのは、この生命活動を終えた瞬間に継続するのが世界が世界である由縁なのだ、という憂鬱から逃れるためのペシミストたちは、自らの終末論に他人を引き込み、誰かの世界もいっしょに終わるべきである、と語るような独善的な集約から、生とは未熟さを謳い、誰かの罪をとがめる。過去とは継続される苦しみを現在に映し出し、あらゆる痛みをあぶり出し、今に帰任するものに付着する動機とフラクタルであるほどに記憶をずるずると引きずり、自らを卑近なものに変換させるための差異から、一貫性をそこない、義務的な要素をつなげるための固執する精神が、過去から引き取ったものによりもつれ、自らを動き難くさせるほどに何重にもかさなった記憶の層を縛させるわけにはいかないのに、過去を引き連れ、ここでの生命とは脆弱なものに変わり、制度の中で不安感を増していき、暴走していく精神は、飢渇することを恐れ、或いはおおいかぶさる死から逃れるために誰かを死へと追いやるような逸脱から、いくばくかの可能性をも引き取られずに、ただ悲観するだけに至るような精神が鬱々としていき、指定される意味にちぐはぐな死を乱立させ、単調な日々をドレスアップさせることもできずに、木漏れ日に攪拌される猜疑心をかかえこんだ孤独は混濁へとまきこまれ、自らを消費するための価値の中で快適なようで、飢渇し続けることに苦しみながら、何かを虐げるために何かを飼うような独善的な履歴から、改善されずに溜め込む邪推が生み出した幸福というプロセスを仰ぐほどに、情念にねじ伏せられ、不正を糺すほどに卑屈になり、いくつもの衝動の中で攪拌される精神は、自らがうながす正義により駆逐されるの、だ。空間を再利用して、犀利に時を見繕い、淫蕩な季節に復讐を告げるだけの段落から降りて、介する間に理性すらも制されるだけに至るのが、自由自在であることに与えられる罰なのだ、と論理的な高尚さをさまたげるような晦渋なセンテンスに騙されて、駄作な時を堪能することに現れる時間との往復から、複製される先々で制限を持たされ、もたらされる罪を複製するだけの位置的な昏睡から、幾何学に果てる純粋な理性に支配され、永劫に馳せる思いは、強要されるだけのことばがもたらす原理を往復し、複製されるだけの真実に終わりが生まれ、汚穢を投げるためにあつらえられる道理にみちびかれ、空疎な自分を機械的に変換するような偏執から、そこで固執するものが未熟なままに打ち出す性質や、清貧さを押収しながら、途端に重税を重ねるだけの軽薄な身体に処置される物物しい軋轢から、ずれていく意識的な還元から、慧眼をそこない、生じるものすべてを確かめるほどに、ここでたしなむものなどは、どれも同じようなもので、同じように不安をかかえ、不慣れなままに従属する要理から、理性すらもそこなわれ、そこで正常さを謳うほどに、ことごとくは同じような苦しみを繰り返すようなサイクルに支配され、理性すらもそこなわれ、そこでないがしろにされた思いは、自らを羽交い締めにして、狭い世界に閉じ込められたアリス的な乖離から、離散していく隅々までに敷衍していく罪との対立から、対比されるだけのがらんどうな身体に放置され続ける苦しみの主事として、執念をはき続けるだけの毒蛇として、短絡的な狭小さに緩慢に作用するだけの痛みに帰任し、認識をさまたげるためだけに生まれたような打算的な修復から、複製される先々で対立を続け、疼く身体が硬直していくことを認識し続ける先に恒久的な故郷を措置し、配備される愛からイデアを粉末に変え、不滅的な夏を謳歌しては、正気も保てずに、あつらえられる時に放置される意識は、いびつな観念を設立し、摂理を飛び越えては、凡庸な時に価値観を定めるような間に捕囚として罪を再認識させられ続けるだけに至らされるような合間で簡素な自分を傍観することだけが、ここでの誠実さを生み出すのだ、というような打算的な正義の犠牲として、囚われられる罪との緻密な回路から、ほどこされる痛みとのわかれが生み出す不安感を利用するような支配的なことばに攻め入られ、徒に消費されるだけの精神は、陰鬱な証拠をそこかしこに残し、相似する世界や、そこで帰結していく風景に澱んでは、童謡の中でゆらぐ空間とのずれを感じ、孤独に消費されるための空間を保つような源の中で苦しみが生み出す差異から、遅延が現れる。