昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

万物にあらがう者


 乳房をなでる優しさによどみ、枕をぬらす影がさまよい、陰惨な形によがる。春とは、もだえるほどに残酷なぬくもりを増す、と勝ち誇ったように語る退廃的な美を備蓄していく彼や彼女らの悲痛さが嬉々としてせまる。どんな時代であろうと、同じような苦しみが、そこかしこから生まれ、連動する苦痛が、空疎なものを吐き出しながら、悲しい思い出などを赤裸々に語り、カタルシスに至るまでの原理を超克するようなぬくもりだけが、この気持ちを応用し、君と居たいたましい季節などに魂などが宿り、どこかで思い返すような女々しさと同化するよりも、その思い出などは、そこで思い返すもののどれもが似たような思い出であり、そこで思い返すものなどは、そこでの思いに重ねるために良いように利用するための記憶であり、確かな記憶に暗示をかけ、足枷を嵌め、どこにも飛び出せぬように、閉じた思いに連動する出会いと別れが狭小なものと同化し、門前し続ける先々で戒律を生み出しながら、はみだしたら最後だと告げる風も他人行儀で、そこで狂気を重ねるために演じる軌跡や、改善されずに、今に苦しみを律動させるために生み出されるためらいから、呼吸することすらも忘れ、我をも捨て去り、最愛の日々を思い出しても、そこでの思いにせき止められるものなどに統計されるものが計算するものへと吸収され、確かさなどは、どこにも存在せず、ぞんざいなものと接近し、設置された意味や、いぶかる先々で対立を深め、軋轢を生み出し、生じる思いが淫蕩にふけ、軽薄な論理をたずさえ、咲かせる悪の華を歌うボードレールとの神話的な邂逅や、懐疑的なニヒリズムに犯され、原理的な季節に封緘されるためだけに送り続けられる手紙の重々しさが鬱陶しくかさなり、かさばる思いを伝えるための着信音が不気味に鳴り響く現代的なリズムからかけ離れるために、私は、私であることすら垣間見ることなく、分裂していくのです、と空白に閉じる残虐な意識を綴るために対面的な恐怖から放たれるための快楽的な手法を汚らわしく思うような思春期の自慰的なものが示す尺度が形成する確かさすらも枷に変わるだけでだし、堕落しても尚、引きずるだけの思いは、引きだそうと伸ばされた手すら振り払い、自らの孤独で磔にされ、寂れた記憶の中で因果すらも捨て去り、最たる意味にロックをかけ、誰にも見られぬように、未熟な時折に織り込まれる真実も、どこか他人事のように感じられるような離人的な春の暴力性から、制度を用い、何かをいたぶるために用いられる罪の実体すらもそこでの正しさを認可するための儀式的な生贄として、与えられた罰により、昇華される罪を儀式的にフォーマットさせるようなふるい考えによりふるい落とされるためだけにふるいにかけられるような資本主義的な制度を打ち砕くために多面になびき、嬲られるだけの心情を童話に変えては、散漫な形式が夜を切り裂き、采配されるもののどれもが意識や意思の奴隷であるし、誰かが用いたもののすべては、意思を奴隷に変えるだけであるとすら言い切れるし、そこで勘違いを生み出すための今の疑問すらも何かの奴隷として否定しているだけに満たない否定などは、否定にすら至らずに、自らをなぐさめるために捏造し続ける現在に利点を求めるような合理的な和解から、界隈は、介在する意味を喪失し、聡明な時を私益に変えるために得るものなどが生み出す管轄や、関係性に絡みあう性的な衝動性から、道理を思うほどに、道理と同化し、動機を失い、何かに移動させられるためのこころなどは、こころないものであるし、こころの内外で果たされるための義務を思い、何かを悲しんだり、怒ったりすることを買い取るだけに満たないような資本的な馴れ合いから、内向的になる君に移設される汚れを清めるための儀式的な罪を利用するような発散から、配備される愛のどれもが骸に過ぎず、軽薄な理想を伝えるために継続していく歴史のどれもが機械的なものであるし、快適なものはいっさいないに等しく、そこで等しくするもののどれもが卑しいし、いたわることすら忘れ、何かを批判することだけに必死だし、堕落しても尚、ないがしろにする瞬間に主観は崩れ去り、瞬間の奴隷として、何かをあざ笑うために優位に立ちたがり、違うためだけに続ける批判に介在していくほどに自由とはそこなわれ、歌われる自由から乖離していく正しさが、支配するための正しさを利用し、正しくあるために利用する悪と手を組み、互いのために互いを利用することで保たれる均衡や平衡などがうるさくつきまとうだけの殺伐とした現在に奉られるもののすべては、退屈を形成するために崇められているだけのものである。