昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

恬淡

守るもんなんてあらへんし、一過性の犠牲を孕んで、否定するもんに左右されたり、一貫した怒りは利己的な批判を繰り返しては、意思に手なずけられて、健気さを忘れよるから、安もんの思想や、パチモンの理由に簡単に操作されて、ファシズムに利用されよるから、要注意や言うても、短絡的な理想は一層ラディカルなもんを育てて、快楽的な破壊に移行しては、作ることを知らんから、ただ破壊する喜びだけに加担しては、前へと進むことも知らんから、自分らの快楽のために、飼いならされては、売り買いを続けて、独善的な理由が毒をばらまいて、くさいもんにはフタして、不確かなもんを崇めるほどに補填される儀式的な意識が手なずける思考は、罪と善悪の虜になって、誰かを愛するように自己愛に耽り、誰かを罰することで、自らの喜びを敷衍させては、増して行く快楽の虜になり、利己的に消費する関係の間で剣呑になるけど、のんきにさすらう私は何がなんだかわからんうちに、だらだらと呼吸しては、故郷も持たんと帰る意味すら要らんからと、用無しになった身体を破棄し、派生する意味に染み入る流動的な意識に生まれる敵愾心なんかをかき消すほどの悔し紛れの業火に燃やし尽くされ、粛清の雨に濡れる。退廃的なモジュールたる君が接続し続ける行方に達することなく消え去る対象が孕む疑念に揺れ動くコイルと経路。軽薄にゆらぐ空疎な自己が弁別的に排斥する生涯の残り火で生きているようなものだと、特攻して行く記憶の群れに生まれる空間的な関与から逃れ、敗残するだけの命かと、諦めるためだけの対象として生きるんはあれやから、かいがいしくむさぼり、凡庸な価値が謳うカタストロフなんか無視して、気ままに歩くんがセオリーやし、そこで用いられる悔恨なんか糞食らえと叫ぶ。生きるとは瞬く間やし、まばたきしてる合間にすべては通り過ぎるんではなく、すべては屈折して、反射したり反響したり、写したり映されんかったりしながら、意識の中で引き伸ばしたり、忘れ去ったりしながら、しなびたままではあかんから、一斉に咲き誇るために、歩みを止めんと、加速する意識が吐き出す星の思いなんかを核融合させて、次々と生命を生み出すために私は産まれたのであるから、乾くことなく、尽きることなく続けるだけである。