昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

リリカルな住まい

生きてるだけでじゅうぶんやし、誰かに何かを決められたりしたくもないし、これをやるべきやとか、あーすれば良いとか、どうでもよくて、どーにでもなるし、論難とか喧しいし、やましいレトリックに遮られたくもないし、けたたましく茹だる魂も、赤なって、なし遂げるとか、どれだけ稼ぐとかは、枷なるだけやから、誰かが謳う価値なんて糞食らえやし、そこでやけになることもあらへんし、静かに見つめる先には虚しさすらも超越して、自由に飛び交うような奴らの背中にも透明な糸が見えて、上の方で操作する自分を神と履き違えてるだけの同期には中指を立てて、そこで同期されたら最後、おんなじ教育ん中で勝敗なんかを決め込まれて、身動きすら取られんくなるだけの、差別主義を批判する差別主義者になるための偏りなんかを自らの正義が生み出してることに気付きもせん奴らが、個人的な権力なんかを振り回して、少数者が煽られて優越感に浸るために、ただひたすらにかき乱される呑気な奴らが健気に洗脳されとるだけの世界に、なにが正しいことがあるか、と。遠のく思いが今にノックして、クラクラする夏の日の下でたまる意識的な瘤が血の巡りをせき止めたりする寂寞に反映される面影なんかが今に暗い影を落とすから、君を押し倒したあの夜のアニマや、あいまいな世界の枷を外して、モラリストが謳う幼稚な企みからは逃れて、粛々と謳われ続けられた浪費的なだけの金言やとか、約束を守れ云々と、彼らや彼女らの苦痛なんかが、普通を強固なものにするために、私たちの真似をすべきや、と強制する世界には、なんら正しさもあらへんし、争うほどに現れる本質的なものに反して、はびこる悪意が伝える慟哭なんかに本質などはなく、ただなぞられる正しさには、何故?と思う子供ならではの疑問は失われ、教育により強制的に何故は、何故か思うことに膠着すれば、そこで構築されるべきものの邪魔になる云々と、ちんぷんかんぷんな御託をならべるだけの便利さを感じる的な権力が支配下に置くためのレッテルを貼るための下準備の塩コショウなんかをまぶされて、フライパンで焼かれて、誰かに食べられるために生み出された動物たちのような感情を知らずに、ただやかれて食べられるのを傍観しては、感情の喪失を悲しむこともなく、ただ過ぎ去ることにより諦観するわけでもなく、ただひたすらに過ぎ去るのを他者の目を借りてポカンと口あけて、ひたすらに同じ死を眺め続けるのである。