昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

弾ける

どんぶりの中を泳ぐ金魚、ふだんは親子丼や牛丼でパンパンになっているどんぶりの中を優雅に泳ぐ彼女か、彼かはわからぬが、健気に泳ぐ姿により充満する幸せホルモンなんかが脳内でバチバチと電気を流して、あれ、これは恋かも的な勘違いを絶えず生んでいったら、戦争なんかもなくなるのでは無いか、と夢物語を巻き込む現実と存在との差異により、この自分という存在は、雲散霧消してしまうのではないか、と震えていた幼少期の自分との乖離により、今という存在は過去を絶えず捨て去り、去り行く自己との対立により、対比されていくだけの我々と社会との結び目なんてものが固結びになったり、解けてしまっていたりと不安定なもんだから、私たちはいつまで経っても不安なままで、いつまでも満足しないで、不平不満をピーピーと促しては、騒がしい鳥のようだね、とカタルシスに至るトラ猫が語る先々では、物質同志の軋轢などが繰り返されたり、あるいは、有利になるために分裂したり同化したりと忙しくうごめく世界の表面で磔にされている神を尻目に、ドラスティックに夢を騙るパンクスみたいに生きたいから、モヒカンにしたりと、やかましく生きた十代から加速し、下腹部が熱くなるような卑猥な恋との別離や、雄大な基礎を無視して、自らが選んだ懶惰な日々に寄りかかり、不文律に締め付けられるのが嫌い過ぎるから、レアなまま君を食べてみたりして、醜い争いが嫌いだから、人間社会から離れ、天空に旅立ち、雲や空と語る日々から地上に降り立ち、折れた翼でも、なんとか翼をバタつかせたら、羽ばたけるものであるし、小さな問題が、いずれかは大きな問題になり、過ちやらを生み出しては、奪い合うだけの忌々しい日々から離脱し、君のもとに降り立ち、もともとある幸せを知らせる。形あるものには終わりはあるものであり、そのあるとされるものすら、どこから何の力が加わって、すべてを動かしているのだろうかすらわからぬままに、この命を終えるのであろうし、位置的なまやかしが迫り、世界性などを狭めるだけの欠如なんかが横柄に君を抑圧したりしながら、狭まるほどに生まれる反発なんかが次々と世界に力を加えて、この世界自体を気ままに動かしながら、すべてを改ざんして、あたかも生きているかのように見せつけるための闘争や、統制なんかによって、私たちの結末に力を与え続ける。