昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

はじまりもはじまり

今わたしに出来ることなどは限られているし、出来る範囲ですらてんやわんやになるし、すらすら読み書きしながらも、かかる重力や、掛け違えた意味なんかでチグハグになるし、簡単に消費される画面から流れる欲望のサイクルや災禍や採決なんかが、視神経を刺激して、脳内を麻痺させ、どこにもない真理を、どこにでもあるかのように見せつけるような誇大広告なんかが迫り、狭める意味の中で完結していく惨めな君なんかがそぐう価値の隙間に遭遇する偶然や偶像なんかが支配する意味の中でしか仲間意識を増やせないような連中が垂れ流すセンテンスが大嫌いだし、打算的な奴らが採算合わすために騙すようなプロセスにがんじがらめになって、ビジネスビジネスって呪文のように促す胡散臭い奴らが申請する今には欠如しか生まれなくて、途端に満足は麻痺して、次なる快楽を求めることだけに忙しく動き回り、気持ちいいことなんて瞬間に費やされ、気持ちいいことを永続させるための孤独や静寂を知らずに、ただ忙しく動きすぎることが快楽を加速させるという誤りを正さない資本主義的な身体からあふれる散漫な意識は、ただ大量に消費されるものが、自分のためになる物を生み出すという幻想に取り憑かれて、途端に修復もされない日々は、祝福すら忘れて、はびこる悪意を重複させ、服従させることだけに専念する国家的な裕福さにより貧弱になったわたしたちが作り直すために、農耕民族的な悠長さ、と優雅さが育てた勤勉さを使い直すために、新たな価値を受け入れ、構造自体を破壊するよりも、ぺたぺたと新たな意味を貼り付け、はりぼてな意味や国や価値をもっと太らせて大笑いする。そのような適当さだけでわたしたちは永続する。そのための改革や革命なら大賛成だ。今日も明日もずっと適当なぐらいがちょうど良いのであって、誰かが語るものなどに指図されたり左右されたりする暇などはないのだ。