昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

愛するほどに増える希望

シュシュで隠す傷、取捨選択する余地すらない日々の結末から流れる川、言葉も持たずに語る愛、悲劇的な私たちが捻出する思いの丈、美味しい未来の話をするために政治的なものを私たちは積み立てて来たのである。昔は別々であった私たちも、今はひとつであり、似たような快感や、物はひとつあれば足り、足りないものなどどこにもなかったはずなのに、離れてしまえば、それは何も無かったかのようで、あるいは近付き過ぎてしまえば、すべては見えにくくなり、近すぎるが故に邪魔に感じてしまう。そのような愛の始まりや、恋の終わりからも遠のき、傾くだけのジレンマが唾棄することごとくが不埒なものを重ねて、かさばるだけの信念なんかをねじ伏せるために、強制的に抑圧させられるような規律の奥にこそ、さらなる快感が増していく、と語るマゾヒストたちが書くリリックにより、思いとは義務的なものになり、強要されてまで吐き出される言葉は機能的であるが、機械臭さを取れないでいる。街を走り回るいつ死んでもおかしくない野良猫として生きてきた数十年、夜風が観覧車をゆらして、見上げる空もすこし汚くて、誰もが手を加えたがるから、ガタガタの論理の階段をのぼり、ぬめりある塀でながめる形式的な景色も、何か数学的に見えて、物理的にとらえた途端に、綺麗だった君もブヨブヨか、ヨボヨボになるし、鏡を見れば、若いはずだった自分も、ずいぶんと疲れ果てて見える。人類最大限の愛で、人類最期の間で、暗澹とした前触れを切り裂いて、送る手紙もその場で燃やされて、島国もろとも燃え尽きるような愛のはざまで、はびこる悪意を吸い込む掃除機に乗って、誰かの願い事をひっくり返すために、平衡や均衡なんかを一切無視して、無重力で浮遊していく先に恩恵はありあまるほどあり、あまりにもあるものだから、何の有り難さもなく、ただあふれるしあわせとは、あまりにもそこにあるものだから、そっけなく過ぎ去り、跡形もなくなるだけだから、と無碍にしたりして、無限なものでもないのに、自分が卑しいくせに、誰かを責めるばかりで気持ちが悪いし、デカダンな連中が示す尺度なんかが、今を膠着させてばかりいる。