昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

普通を謳う苦痛

雨くさい猫の背中、屋根の傘の下でサーカスを続ける羽虫たち、論理的な改ざんにより生まれた子供たちの宗教戦争や、醜悪な大人たちの吠える声が嬲る廊下や、痩せ細った路地で眠る子犬や、珈琲の香りがする散漫とした部屋で政治的な卵白を混ぜて出来たマドレーヌや、安直な夢を食べた精神科医によるファシズムの再開、カラスが咥えた義眼が揺らぐ刹那、たまゆらに嵌る私の虚像とは、誰かの中では現実なのだ、と安心感に浸る先に垂れる雨の雫、アメリカナイズな人々の証拠品、雨の日は老犬はもっとも死に近付くし、洗い物とドラえもんという文字にはほとんど差異は見当たらないし、文字と存在と行為には懸隔ばかりが現れてばかりいるし、本質的なものは混沌としているようで、殆ど似通ったものばかりである、と哲学的なアンニュイとした文言を靴下にしまいこんで、あらゆる悲劇を踏み平す私の足、あらゆる悲劇とは、君の中からキラキラと運ばれてくるし、あらがうほどに生まれるため息の動物として、この生きるというバカンスを楽しみもしないで、せいぜい収まるところに言い訳がましく我慢して生きる、という虚しさに加工されながら、自分という人質を取り戻すための闘争という鳥もちに捕まえられてしまっている小動物を演じてきたが故に、その演じていることに慣れてしまい、馴れ合いに浸り、あらゆる悲劇を他者と分かち合うことにより麻痺していく苦しみの虜になる。私たちこそが、この醜い繰り返しを書き換えるために、生きやすくどうでもよい、どうにでもなるような日々を作り出し、たしなむ意味が罪などを提示しないで、誰もが受け入れ難いものにはNOと叫ぶべきである。鈍麻な危機感を孕んだアラハバキたちがうごめく夏の深夜、真理とはエゴイストたちの消耗品であり、そこでの品位などを泡沫で詰るためにもたつく感情に管理され、忿懣に至るだけの退廃的な契約が荒んだものを孕んで、ランダムに処理される私たちの怠惰な結合により、より良いものなどは、似たようなものの中で絶えず似たようなものを探すための恋の予感などに左右され、同じような質感の中で、定めなんかを謳いながら、今に奪い合うためのジレンマを構築し、禍々しい思念が生み出す退屈な理想を体系化し、加算される罪の虜になる。