昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

個に着せる権力

どこまでが自分の力かと失われつつある精神が、帰路を閉ざし、孤独に遊泳していく記憶の彼方で、デカダンな夢に揺られ、複雑な精神構造が、理論上に喜悦を重ねては、副作用を含ませ、対立する自己から表現していく擬似的な関連性に律動しては、生じる所以に方向を授け、剣呑な事実に能動していく容態から削らう記憶から滞納していく関連に事業的な敵意を見せつけ、自らに倒錯する権力自体に発散される懶惰な自己から傀儡化していくシステムに容態を託し、脆くも崩れ去る際から補完される言葉から幽閉される傲岸な自己から肥大化していく苦悩から終焉を迎え、初心な自己を補填しては、状況の骸と化する頃にカスタムされる精神が鏡像で果てては、悠遠に果てて、長じる無限から、近接していく状態に堅持される力から孤立していく動機が悠然と立ち尽くし、交互していく様態に膨らむ状況から自らの力を取り除き、統合される虜になる自分から成り代わる瞬間に統制される此処から構成される真理に結ばれるだけの形に盛大な余韻を膨らませ、交わる時に統制される月日が延々と永遠に掴まり、次々に文明的な怠惰さを孕ませ、心も持たずに最たる意味を司るだけの権威に提唱される事柄だけを正しさと解く権力に過干渉していく関連から状態はリアリティを失い、錯綜する原理に調合される現前に果てる手前から脆くも崩れ去る起因に因果を突き刺し、もろもろは奪われるだけの価値に糧を求め、要する状態に秩序を求め、止めどなく崩壊していく形に大義も見出だせずに、兌換される貨幣だけに偏る心情から浪費される瞬間とは、短絡的な買われる動機から人形的な原理に塞ぎこむ形に対話していく形に引きずる思いから壊れるものもあらず、ただ寄り添う愛に引き出され、引き合いにされる事から漁る形に濫立していく様態にうごめく思考から恋路はノイズを用い、あらゆる秩序を破戒するに至るだけの家畜と化する原理に要する状態に秩序を求め続けるだけの誓いに収まる儀式から奪われる過去から漁る現代に理想を託すだけの償いを含ませた追憶が孕むシーンから滅亡的な動機の傀儡と化するシステム内の保身から縫合され、内積する悩みから抱擁され続ける母体から能動していく愛に形は無く、保たれるべき秩序も無く、すべて筒抜けで、分岐点も無ければ、脳天気に這いつくばる自己から昇華していく思いは指定されずに、名前を持たず、阻むものも、指図するものもいなければ、ただ立ち尽くすだけに傍観する自己も無く、ただ苦楽も無く、晦ます間に倒壊していく感覚から関連していく動機に有する形も、解する間に理解を含ませるような協調機械から生まれる生産性を保つだけの恒常性を本質と見透かすだけの人間的な、あまりに人間的な逃避から、大衆性は、対象を失い、薄い膜に鎮座する資本的な動機へと執行していく権力的な打算から世界性は、数学的な教祖を崇め、無情な時代の責任を転嫁していくだけの形にすがる神を神と呼ぶ頃には、金銭的な道具へと現行を引きずり、相対する自己から善悪は、単に奪うものと奪われるものとの対立へと移行し、戦争に至るまでの悲しみの経路を形骸化していく主体から傍観する他者たる自己を含ませ、腹心に迫り、敗残していく残り少ない猶予を託すだけの保証されたがるだけのすがる人間から漁る人間へと変貌し、編成される真実は、事実の中で転用されるだけの傍観者と化する頃に簡素な自己から安易な自己を含ませる時代へと恨みつらみを用いらせルサンチマンへと変貌する途端に鬱積していく心身に背負われる義務から愚行が生まれ、攻撃性を用い暴力に転換されるだけの価値へと移行していくこころに迎えるべき喜びを、と叫ぶ精神分析も依存する対象を求め、金銭で分析するに至るだけの乖離的な世界への代償を含ませる性質へと構造的な分裂を含ませ、アノニマス的な死へと幻想的な狩りの死の対象として淘汰されるだけの人形的な人間を産ませるだけの資本的な構造的出産から安逸な瞬間は、子供を機械化し、ただ成功させ、親を超える稼ぎを生み出し、金たる足かせをはめて着せ替え人形のように扱うだけの教育課程に権限を持たせるだけの権力にもつれる構造的な原理から世界性は、はめ込まれるだけの式と域に収まり、収まる過程からはみ出すものを排除するだけに見失う今からはみ出すままに備わる意志と背中合わせの創造性を捨て去らせながら、社会へとつなぐだけの補完から、人間的なものに収まるだけの価値の家畜へと畜産されるだけの屠殺される経過を傍観するだけの暴力的な資本へと流動していく保身から悔悟は生まれず、ただ倒錯する闘争へと本質を移行させ、生きるという荘厳さを知らずに、ただうつむくままに倒錯する労働の牢獄へと屠殺される限りにくたびれた身体は自らの力を脱ぎ捨て、屠殺されるために、このためらう身体を守るための牙を抜き取られ、爪を剥がれ、正しい事を聞く耳を塞がれ、正しいものを見る目を奪われ、正しいものをつかむ腕や、それに向かう足をもがれては、自分とは、何かを見失う限りに考えは失われ思考停止したままに何かに反する者こそ、正しくは無いのだ、と示す教育こそ、正しさを押し付けるだけに、自らの考えを失わせるだけに操作するだけの教育へと移行し、教育は、短絡的な欠如を生むアカデミズムに移行し、アレルギーをたくさん生み出し、企むだけの人間を生み出すだけの官僚支配から世界は世代交代されず、受け継がれる既得権から記憶は失われ、ただ平和そうな国の遭難者を生み出すだけの国家的な理想から軋轢が生まれるだけに保たれるだけの経済の形骸を背負わされずに、権力は我々に帰依し、我々を保つために用いる権力から、我々を守るためだけに備わる権力へと移行し、傀儡政治の終焉を迎え、政治は、我々に帰依し、我々が執り行う事に、何ら義務も持たせず、我々が過ごすべく正しさだけを、正しいと呼ぶ。 ただその行いに、何の統治も誰の支配も、誰かが権力を用い、権限を行使し、誰かを裁く事に、何の正しさも持たせるべきでは無く、正しさは個人に帰依し、正しさを押し付ける事に、何の正義も無いのであり、本質は見難くとも、この難治を抱える中身が無い国からの進化を目指すべく、自らの正しさを見つめるべきなのである。 互いに占める権利に、互いに示す権力は暴力を用い、君を責めるだろうし、やがて拡大する怒りは、他者を攻撃し、大きな戦争を呼び込み、単なるムーブメントは、短絡的な戦争で互いを傷つける事に終える事を権力だと履き違えるから、人間的な物で終えるの、だ。 問題は超え出た後に備わる答えに落ち着く事で陥るだけの答えを拾い集めるだけにシステムは対価を求め、退化するに至る。