昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

途端と陽炎と無益と影絵

命つむぐ色彩を摘み取り、記憶の奥底が赤々と悶える秋も徒然、枢要な事実を滅し、拘う時を横溢させ、静寂に逸し、一途に思い描き、託す今が生き生きとし、達するままに輝き、無知なままで、転じる先を愛する。静謐も、もだえる永劫に隠し、閑散とした現代とは、と歌う先々にたゆたう秋雨こぼれ、永劫を駆け抜ける天馬に理想を乗せ、天元に果てる屈従のネオンもきらびやかなジュピターと混ざり、転々と宇宙との調和を強調するだけの規律にすら反し、ダークマターにうなだれる無すらも無い境域で無い物ねだりな色彩仰ぐ孤独も移ろいやすい思春期の恋のような酩酊を繰り返し、白夜に歌う静謐な余暇も、孤独を虚空に隠し、ニヒリズムに陥り、嫉視を重ね、デカダンな規模から浪費される収益から、宿命を謳うだけのモダンな歌姫も転移する病に苦しむだけに咲き誇る意味すら無意味だ、と浮き世も、儚い自己破壊に呈するだけに関した意味すら意味も無く過ぎ去った限りの過去などは汚いものに感じるべきであるし、抱えたところで、そこで朽ち果て、駆逐されるだけに明け暮れる生命に過去などは不必要であるし、抱えたところで、そこでとろみを重ね、統合され、融合するだけに構築される理論に襲われ、ただ私情を閑散と加工するだけに至らせるような空の下で納期するだけの受動的な真理に真偽すらも持たずに、用いられる理由に屈折するだけに汚いエゴを機械的に運び出す生産的な資本主義の轟音がうなる原野に理想は供給されるだけの詐欺へと移行し、だまし合うだけに潤う他者を媒介させる快楽から需要を生み出すだけの儚い理想も、死に絶えれば、一切は危害を加えるだけの物事に権限を用い、もたらせることを独り占めするだけに斡旋する事業的な陥落から、凋落する事物から剪定される花の思いから、歯止めも無く促す機械的な欲動から、主義は思想を操作し、交差する思いは巣に帰らず、ただ果てない旅路へと移行していく知の旅へと致死量の愛をあぶく銭のように使い果たす淫行的な街並みの現行から課せる理屈から、終焉に巻き込む習性が描く懐疑的な日常と破壊的な欲望の住処との対立から、簡素な希望は浪費されるだけのことを仰ぎ見ては、つまらない独り言で永劫をかき乱すから、この静寂に至る街並みの孤独を愛し、高次に至り、したり顔で見下す己こそを飛び越えた辺りに一切は刃向かうだけに展開する意志だけが、確かな理由を用い、その理由すら超越することに置かれる自分すらも飛び越えるから、確かなものは対面に生まれず、あらゆる角度から自分を攻め入ることに占領されずに、展開する物事に反する自己こそが確かな答えに出会うべく、その答えすらも超越することに置かれる答えすらも蹴散らし、あらゆる物事を素直に受け取り、反することにより、物事の確かさが仮死化する現前に理由すらも残さずに、ただ達するままに仰ぐ隙間に健全な理由を用い、動機は投棄されるだけの反復された正しさこそを怪しみ、ただ与えられた正しさこそを乗り越えるのだ、ということを教える教育などは、権力に支配され、背くことを恐れることに置かれる差異に切片に接続される物事だけに本質を用い、己だけが正しい、と促す者こそを怪しむべきであり、用いられる権限に有する価値にカタストロフを促し、交互する意識は神々しいものに集まる夜光虫そのものであるし、用いられることごとくに鈍磨なままで、愚鈍な生命を不当に扱い、不透明なままに仰ぐ先々に募る意志は淫靡な欠乏症を抱え、厳令に従うだけにさげすむ間柄に隷属するだけの形に悔悟を重ね、動機に同情を用い、浪費されるだけの観念に掲揚する事実に鬱積する現用に果てる隙間から描く真実は、用いられる物事に蝉蛻しては、生命の帰路を用いずに、偏執するだけに境目を用い、最たる意味も失い、喪失感に関与するだけに快癒しない希望は、用いられる絶望により、末梢される己を煽るだけの不安感に滅亡していくだけに行き過ぎる事実に屈折するだけに最たる事実も失い、ただ倒錯するだけに至る精神すらも飛び越えるような幼気な健全さでもって、純粋さを脱ぎ捨て、ただ欲そのもののままで、性悪説を飛び越え、生きるそのものであるだけに、長じる意識は、ただ達するだけの精神すらも飛び越え、得たものを似たもののように食するだけに明け暮れるような退屈さを脱ぎ捨て、払い落とす先に座標すら用いず、ただセンセーショナルに制限も無く行き過ぎる後に旋回し、飽くなき探究心で、延々と演繹する先々に用いられる答えに弁証法を重ね、対立する答えに交互する意識に色彩を用い、孤立する永遠に制限も持たずに、寂れずに歌い続ける先に淵源は輝き、すべてを失う者に強度を授け、ただ飛び越える先に思い浮かべる事実を羽化させ、飛び立つだけに脱力しては、白々しく促すだけの本質から放つ事柄に一矢報いる、というルサンチマンを用いるよりも、最もな創造でもって、時代や社会や国家や世界や宇宙すらも飛び越え、用いられることごとくを飛び越えることこそが、この今を破壊せずに、創造により、輝く事実を建設し、虐げられた名ばかりの世界を超越する。