恨むべきは、怒りか?はたまた怒りの根源か?またその恨まされているだけに至る事に従うだけに排除しよう、と目論む用途が示す力が左右させるだけか?架空のものや、仮想のものを信じて信心するだけでは、操作され、こき使われるだけで終わる。絶対に待ち受ける死に反するならば、自らで選び、誤ちすら受け入れ、過誤せぬように貫き生きるのみに、生命とは宿る。君を目覚めさせる色も、どこか朧気で、健気なおべっかいが斬り刻む空間がキシキシときしみ、あらゆるシミが表現を奪いながら、暗雲の彼方に消え入る本質もビターな感じだ。肝心なものとは、朧気なものであるし、やがて渇望する老いなどが、君の生命自体を奪うの、だ。
匂い立つ新芽や、燃え尽きた起源が逆撫でする先でクロスする思いが交錯する先々で艶麗な時を引き連れ、蝉蛻し続ける先に初心な思いを携え、延々と引き連れる思いは、携えるだけの言葉を儚く放ち、ないがしろにした主観に衝動的に放つ由縁が燃え立ち、おどろおどろしいシーンを虐げては、支え合うたびに与える圧力がコギトをくすぐり、沸き立つ感性が沸点に達し、勇躍する憂鬱も、ただ返信されるだけの答えに信念を打ち出し、物事の森厳を探り、荘厳な閃きを今に結ぶ経路から判然とする思いも、ただ固執するだけの現在に諦観を用い、束縛されるだけの終える真実から、生じる先々に結ばれる思いも見失うままに終わり、遮られる思いは生じる由縁にさかのぼるだけの境目で退廃的な理想を突きつけるだけに追考する意思は、生じる先々で締結していくだけに帰巣本能が芽生え、命じる由縁や、映じる事柄に心象を映し出し、打算される永遠から、公平性を謳うだけの始終に迫る私情に備わる死が囲い続ける現在に生きるとは、果てなく愚鈍な戦争に褪せるだけに悶えるだけの行為にヒストリーを結び、前衛的なものを排除し、普遍的なものに供血されるものが全身を巡り、朦朧とする意識に統括されるだけの権力的な記号や、気配に達する世界性から、接続される観念に静謐な思いを収斂させるような彼方で艶やかに退廃する物陰に倒錯する現実から、現前は退行するまでに固執する由縁に生じる酩酊から、観点は損なうだけの陰りに排出される名前や記号に奪われるだけの場面の中で膠着する時代的な猶予や、慈愛などを促すだけの動向から、同一化を求めるだけの苦悩は超越を知らず、超克すべき現在に点在する意識は聡明なものを語らず、ただ騙すだけに倒錯する観点から、投影される物事を引き連れる間に全容は吐血を繰り返し、驕傲なままで競争を掻き立て、煽るだけに至る気持ちに症状は悪化の一途をたどり、分裂的に滅亡していく果てに興じる由縁は蕭然とした途端に葬る言葉を屠り、縫合される続きにずきずきする本質が痛みに屈従しては、空虚なままで軽薄な論理を携え、延々と静謐な思いを動機に結んでは、対する道理に餌を配り、くびきに変わり時代を拘束し、ただ発散すべき様態に蔓延る悪意だけが、軽快な意思を持たず、なあなあのままでないがしろにした現在に退廃して行くだけの物陰で固執する言葉から、仮想する出来事も、ただ相対するままに殺伐とさすらう限りに独占されるままに同行する意識から、言い分けを重ねるだけに抵抗を重ねず、どれだけ困窮しようとも、生きようとする意志だけが統合され、烏合の衆の愚行に陥らず、うごめくままに真実からも超脱し、ただ放たれるままに超える先に人間とは、観点を奪うだけの名前や記号に攻め入らず、ただ苛立つままに生じる言葉に放たれるだけの合間に注がれる由縁に有するだけの言葉に敗残し、相対するままに損なう影に求められるだけのモラトリアムに放たれる強制的な思念から受理される事だけを認識する先々で結ばれる定理も、抵抗を加えず、ただ内面的な事に形成されるだけの分離的な思念に配される間に超えるべき分岐点も求められずに、ただ哀感をそそるだけにそそくさと消え去る過程に用いられる言葉も硬質さを奪われ、ただ用いられる事に生命がたどる形式だけが、嫌疑を用い、快活な動機を奪われ、ただ贋物の世界という名と記号の塊に支配され、ただ快活に埋めるように示される強制力や抑止力に支配される事だけを強制され、ただ大胆であるな、と促すだけの戦場へと乗じる言葉で改ざんされる間に隔てられ、ただ物事の平衡を失い、ただ均等なのは、燃え立つ本能であるし、死と共に歩む行為から、感染していく情緒は、ただのニヒリズムをヒステリックなペシミズムに変え、そこにナショナリズムを植え込むか?はたまた邪推するままに信仰を植え付けるデカダンの間断無く続く意思の交通から、衝突していく問題点の節々に迫る情緒の氾濫から、不安定な過程をののしるようなプロパガンダから調和すべき今に聡明な答えも押し入るだけに至る剣呑さに能動していくほどにホールドされる現在になじむべき意味も、成し遂げるべき間に阻まれるだけに終える。