昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

アタラクシア


 ニヒリズムに移行し、行為は、善悪というものに隔てられ、ペシミズムか、テロリズムの、どちらかに堕ちる。偏った精神が、敬親や、敬神を謳い、多目的に流動する欲望は、新たな支配を続け、つたない暴力を連ね、連動する意識は、短絡的な欲望を耽溺し、自らを失い、自らを探す、という欲望的な機械へと陥り、自らの迷宮を、彷徨う。未熟な泡沫に至らぬ思いが、つんざき、合点を損ない、未熟なままの精神は、むらがあり、あらゆる行為に追従し、新たな高揚感を求め、行為に耽るほどに、至らぬ精神は、魯鈍なものを抱え、自らが、自らにヅレを感じ、果敢に挑むべき場面に倒錯し、自らの弱みに漬け込む自らが、自らを、倒錯させる。苦しみとは、一貫して他者からしか、与えられずに、ただ他者と緩衝し、互いの痛みを、あたかも解すかのように示す交わりも、互いに依存する事により、痛みの強度は増し、強制的に執り行なわれる、儀式的な交わりから、自らの純粋な観念とは、他者を介し、自らが、自らの意思を、壊滅させる。表面上で普通とされるものが、権力を振るい、俯瞰に迫る空間のエモーションなモードや、シリアスな日々にナンバリングされるだけの悲劇へと緩衝していく意識的なミメシスを繰り返すほどに、魯鈍な『権力は、管理を象徴するだけの観点に記号化するだけの人口的な適応と、楽園を作り出し、機械的な街におとずれる贋物の真理に、元来から、白昼夢をさまようだけにさらされた無残な精神は、敬神を続け、綴る意識は、リリカルなものを放棄し、ただ短絡的な日常を、機械的に歩く足並み揃える同じ歩幅で、同じさじ加減で、同じものを愛し食する事に観点は、全体主義へと陥り、横溢する贋物のナショナリズムが、理想を供給する事に現れる差異に昏倒し、束縛されるだけの波形に酔いしれるだけの連帯感に使命感は、過疎化する痛みに毎日の倒錯から、錯雑とした観念は、狂気を、あたかも抱えさせられたもののように扱い奉り、立場を用い、何かを、支配的に拗れさせるだけの普遍性へと印象は、倒錯し続ける限りに、正常なものなど、今に至る原理に潜む糧にもならず、今に現れる運命的な倒錯へと記号化された人間的な者は、ゲノムの中をさまよい、運動的な名称へと固執するだけの淫蕩な形跡や、季節に屠られ、縫合される原理に厭うだけの形へと懈怠していく心因にもとづく病を加工し、品位を用い、貧寒な意思へと至らせる。』 みすぼらしい観点が悟る永遠性の真理にもとづくセオリーに媒介するだけの価値観が、過剰な思想を生み、死を媒体させ、史観を謳い、用いられることに現れる歴史と景色を利用し、領土を奪い、うたかたに用いられる欺瞞や、不満が肥満し、俯瞰を奪うだけの正論へと成長を遂げるころには、昏倒する意識は、未明におとずれる品位にずれていき、干渉されるように、従わせようともくろむ用途は、領土を奪うべく、人間性をねじ曲げ、内面的な制度を象徴するような神を作り出し、感触を奪わせ、猥雑な支配へと思案していく先々に証拠も無く、超克すべく、昏倒する意識を正すような判断を狂わさぬように、空疎なものを信仰する以前に、自らが生み出す信仰自体を怪しみ、あいまいな今に崇められるだけの真相に帰巣するだけの本能を、凡庸なものと捉え、途絶えぬように、自らの意志を綴る意識的な意味合いに汚穢を用い、清め祓う事に現れる汚いものとは、機械的な者が作り出した幻影であるし、現存するもののほとんどは、不必要で不潔であるのだ、などと促す者も、怪しむべきであるし、改ざんされるだけの荒廃した真理に、現時点は、固執するだけの観点を生み出し、奪い合うだけの悲劇へと加速する信仰心が、人工的なものを作り出し、死や悲しみをごまかし、現前に猛る意思を払い落とし、ただ従い崇める事にしあわせは生まれるなどと、促す者も怪しむべきであるし、超えるべきは、そのように懐疑的になる自己が重ねるあいまいな現在におとずれる理由に倒錯するだけの作為にもとづく理由に配当される愛が、俯瞰を奪い、空間を占領し、支配的にもとづく理由に軽薄な理論を生み出すだけに、陰る本質が、退嬰的なものを掲げ、対照的にされるだけの贋物の価値に複製され、復元されるだけの原始的な起床から、原理的な理性にもとづくリセットされるだけの心因に放ろうし続ける放胆な生き方に課せられる罪と罰を生み出した魑魅魍魎どもから逃げ、人間的な次元にとどまるだけに、倒錯する意識に行為を求める以前に、その行為とは、己が生み出した意思が、忌む事無く、構築されるだけの似通った価値や形に騙されずに、ただ生み出されたものを、生み出されたものとして愛する事ができるかにより、似通ったようなものや、同じようなものに反し、自らの意志だけに基づく力だけを信じ貫く事に現れるアタラクシアが、アクションを起こすよりも、物事におとずれる平静に平衡し、平坦な道すらも、楽しむ事に現れる原理に、原理的な支配を訪れさせる以前に、些細な出来事を、ただ愛し尽くす事にかぎるの、だ。