昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

私とは何か?


 類似性を用いた、性的なシグナリルが降り注ぐ。無知な私は、猜疑心を用いず、受け取る情報の呪詛に耳を貸し、貸し付けられた意味に、大義を用いず、支払う義務感に駆られるだけの衝動とは、与えられた餌である情報を受け取る限りに、自らの意思を損ない、性的欲求の虜になり、現実感と相違し、相似するものだけを愛しているかのようにさし向ける限りに、差し違い続ける意思は、価値観に段落を生み、利己的な段差に嵌め込むべきものを用い、空白に無理やり嵌め込み、意味の処女を奪う。前戯的な夜の心音を聞く。辺りは、研ぎ澄まされた空間に磔になった裸体を空想し、機関的な肉体にこぼれる空の慟哭が促す液体に浄化され、情報の末尾に締め付けられた感情を解放し、自らのみずみずしさに帰り着く。ひとつの場所にとどまらぬように、私は、すべてを愛しはじめる。ただ、はじまりに交わる恥じらいのようなものが、夜を透過させ、通過する思いが、観点を乗り越え、掌握するだけの理念をねじ伏せ、自らの意志に帰り着く。今に付着し、膠着していく意識からエクソダスすべく、倦怠感を取り払い、性的なニュアンスを忍ばせる凡庸な夜から離脱し、静謐へと至り、何かを捨て去るだけの仏教的なロマンスへと対立していく意識は、怠惰なものを取り除き、利己的なものを囲み、混同していく過去や、動機を捨て去り、最たる記憶に後続していくだけの断続的な過去へのジレンマや、慢性的な痛みを加速させ、足かせを外し、世界性に求められるだけの淫蕩な隠語や、娯楽を求めるほどに、咎められる意識は、劣等感を用い、何かにレッテルを貼り、破壊的な感性の袂で、感情論的な相似へと至るだけの互換をくり返し、加算される意味へと反復するだけの意思は、意味を反芻し続け、つたない意識へと改ざんしていく散漫なものや、くさめを唱え、自らの病を、世界へと捨て去るような儀式的な通過から、緩衝できずに、ただ、互いの痛みへと解消されない意味を加速させ、あいまいな現在に承服するだけに、奴隷的な意識へと、はたまた、間違いを正せずに、ただ、与えられるものを、そのままにいただく間柄に卑劣なものが備わり、離愁に漂う愛すらも消え去り、探しても尚、見つけられぬものを追いかけるだけの堕落した感性に暗鬱なものが迫り、世界に色あせ、俯瞰に付着する意識的な偶像を拝むだけの毎日に見合うような理知を収納するほどに、利己的な倫理が迫り、高徳などを謳う限りに徳とは、今に意思を失い、虐げられるだけの未来へと断続する苦痛を通過していくだけの意識的な汚穢を謳い、性悪説を謳い、唱える意識的な間違いから、戸惑うだけの断末魔を聞き取り、咎めるだけの意識に退廃的なモジュールをつなげ、伝わる意味に接続されるものが、今に隷従し続け、つたない意識は、破壊的な意味へと攪拌され、確信を持たずに、何かを疑い、恨むだけに至るような人間的な誤りから、過ちを加工し、枯渇していく意識的な哀れさに不幸を謳うだけに至るような信仰的な愚鈍さに、敬譲を謳い、用いられるものを受け取る事に対する信仰心のようなものが、今に弊害を与え、相対するだけに至るような出来事に金銭を求め、咎めるだけの意識的へと堕落していくだけに至るような徳などに、なんの意味を用い、何が今をへだてるのかを知らずに、ただ、従事するほどに、正しいものなどを謳い、用いられるものへと加速していく意識的な汚穢から、応じるだけの答えに、退行していくだけの愚鈍なものへと引きずられる意識的な終幕から、修繕されない苦しみを謳い、用いられる思想へと、思考停止に至り、いたわるものも居らず、押しつけ合うだけの記憶に仄かな愛すらも消え去り、採算を合わせ、あいまいな現在に輪唱されるだけのものを信じ込むだけに、真実とはねじ曲がり、歪んだものを掌握し、理念へと追求される欲望から、揺動されるだけの真実へと緩衝できずに、今に苦しみを反復させるだけに、絶望の強度は増していく。抵抗をせずに、ただ、単調な日々へと断腸の思いを重ね、興じる理由にねじれていく本質が用いる時系列へと軽蔑されるだけの真実にもとづくエゴから、更迭される意識は、聡明なものを疎外され、ただ、謳われるだけのものを信じ込むほどに、露骨な支配に気付きながらも、屈従するだけに至らせるようなものに人道的な倫理観などを押しつけるほどに、あふれる感情は、露骨な支配に背反し、破壊的な意味にもとづく定理に理想は、供給されるだけの罪の意識へと加工されるだけに、品位などを用いられ、意識に軋轢を加えられ、その場しのぎのものを用い、今に付着する意味に損ない続ける意思などを掲げ、今に至る原理に浸るだけに負担は増して行き、生きる苦しみを解消できるのは、信仰にも労働にもあらず、教育が施したネガティブな情報から、ただ、従うだけの奴隷として、似非民主主義を掲げ、監視を強化させ、社会主義的なものに偏り、システムの強化を謳い、用いられる情報に偏り、神経を逆撫でされ、誰もが同じものに怒り、誰もが同じものに悲しむ、という暗示から、あいまいな意思とは、情報に操作されるだけに至り、自らの感情とは、どこにも無く、意味の傀儡として、踊らされるだけに至るからこそ、私とは誰かに気付き、築き上げるものは、自ら選び、自らの意志だけで、敢行するものだけを取り上げ、自らの意志に変換されたものだけを、愛し崇めるような結末へと至らぬように、自らすらも怪しむ。