昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

運命

 
 眠り続ける子供たち、幾重にも絡まる影を模写する卑屈な太陽と、体温を失い、遮られ、裏切られた君の過剰な思いにがんじがらめになる時が今を阻み、 はびこる悪意や、数多の意図に関わる無碍な試みや、枯渇する意識は、何かを受け入れることを拒否し、自ら渇いているのであるし、やさぐれ、荒れ狂う意識は、今に支え合うことを喪失し想念する先々で、対立を繰り返し、今に乖離し、理解を孕まずに欺瞞を生み出し、緩慢な作用から、意思を損ない、今に怯えるだけに至る。私たちは過去から現れるものに、いつも苦しむ。生きて神になるか?死して神になるか?の違いに現れるものは、微々たる違いである。価値は、自ら作り出すものであり、何かを測る尺度であってはならない。苦しみは自らから超越し、苦しむ自分を傍観し、苦しむことを悦に変える。感覚は、無情なものを、秩序に変え、与えられた感覚を麻痺させ、いびつな意味を形成し、自らとの関係をうやむやにさせる。
 原風景にとどまるだけの君は、気持ちに戸惑いを生むほどに、魯鈍な者へと偏向していく儀式に参加し、散漫な意思を消費する戦争へと運ばれる意識は、反社会的な者だ、と促され、疎外されるだけに至るような定理にもとづく停止線の前で、皆が皆、同じような生活こそが、清潔だ、と思い、それを保つために、しらじらしく生きるような苦しみを同じように強要することのが、薄気味悪いものであるし、人間とは、考える動物であるのに、何故、同じような考えに同調し、専横され、流されることを良しとするのかが理解できずに、さまよう君の価値観も、歪んだものであるし、そこに求められる意味すら不潔なものに陥り、やがて、自らの歪んだ思想は、醜いものを強調し、それを攻撃し、破壊した後にも、破壊的な意思を加速させ、牽引するだけの暴力に措置されるだけの意識的な散漫さが、肯定を続けずに、抵抗する先々で分裂し、フラクタルに関係するものを破壊し、宇宙との調和を破壊し、粒子同士の会話から、怠慢な理想を掲げ、自らを破壊し尽くすだけに至るような軽減しない痛みを抱える分離し続ける自己を傍観する苛むだけの身体からの乖離を用い、モデルとされる原理を破壊し、果敢に挑むような反宇宙的な創造性を用い、災いすらも、克服し、幸福を謳うよりも、自由を長じるよりも、自らが示す由縁だけが、宇宙を生み出すようなそぞろな意識が、写実的なものすらも感じるほどに、現実から懸け離れ、確かなものほど、そこに虚偽を孕み、牽引される意味も、今に意思を持たずに、ただ、物質は離れながら、連動する意識的な汚穢を重ね、軽蔑し続ける先に離別する意識は、シーンから放たれ、軟弱な自己を屠り、利己的な自己が軽薄な理論を用い、理想を強調するほどに補填される苦しみは利己的な嗄声を促し、運命を弔うためだけに、時間と空間を利用し、意味を今に閉じ込め、君を理解する以前に、介する間に生み出される嘘を信用し、心境とは、誰かに作り出されるだけの幻想であるし、利己的な収斂から、連動するちぐはぐな理想な、プロットを破壊し、はびこる悪意が連動し、連想させるものを利用し、悪意を生み出し、差別化を進め、寸前に迫る利己的な主事が生み出すナショナリズムに利用されるだけのプロパガンダが、今に使命を生み出すかのように、容易に入り込む看板の文字に維持されるものに背徳を掲げ、該当するものなどにすぐさま反するような人間こそが、人間らしいものであるし、何かに指図されるほどに、サイズを決められ、既読されるだけの運命は、孤立する恐れから、自らを孤独に投げ込まずに、大衆に紛れ、犯罪を謳い、用いられることに善悪を決め込み、自らの罪を消し去るべく、誰かに罪をかぶせ、自らの罪の意識を和らげるためだけに、多面に現れる意識的な罪を消費し、悲観するような今に関するほどに、謝絶する意識は、誰かの感情を入れ込ませぬように、混同する先々に従事する痛みに起因するものに緩衝し、自らの痛みを和らげるためだけに他人を利用し、領土に覆い被さる死から逃げ惑い、惑わされる今に猜疑心を用い、ベターなものを信心し、もっともな意味を吐き出すだけの代理的な位階制の母が生み出す幻や、相違するほどに互いを闘争の炎へと巻き込みながら、分散される意識は運命的な広がりに疲憊し、自らの苦悩を流動させ、保持する痛みから、苛む記憶に万世はなびき、内外に放たれる怒りだけを儚く倍増させ、吐き出される怒りだけが、朝を恨み、自らのルサンチマンの枷を外せずに、孤独が応じる答えに用いられる原理こそが、世界を正解に導く杖であり、魔法であるのだ、と野良的な観念は、安寧なものを求め、乱す者を殺めるためだけに多面から受け取る情念が、性根を腐らせ、空洞化するアンニュイな理想を抱える心が枷を嵌め、世界性を奪うだけに至らせるような陰鬱な消費から、衝動的なドライブを重ね、衝突し続ける心は、進行を止められずに、途端に不快感を与え、間隔を生み出し、今を麻痺させ、悲観するだけに至る精神は、正義を謳い、今に用いられる否定的な最果てから加算される終末論的な論議から、朗誦される正義が用いる悪意が用いる痛みを利用するだけの政治利用から、成否を用い、関する間に受理する意味も、陰鬱なものを生み出し、無為の者として、無残な者として、配下に下る快感こそが、原則を生み、今にもたらされるものを、幸福に変えるのだ、と促すような原理こそを打ち破るために、人間とは、始めて人間であろう、とするのである、と何回も同じような階段をのぼる意志は、介在する力に反し、自ら促すものにこそ反し、現れるものすべては、何かを利用し、何かに利用されるだけに介するようなものであるし、そこに現れる苦しみに反せずに、今に現れる意味を修繕するためだけに、ためらわずに、互いをとがめるような理想などは、利己的なものにとどまり、理知を持たずに、感情的に判断を下し、何かを破壊するだけに至り、用いられる愛も憎悪に変わる始末であるし、愛と憎悪とは表裏一体であるし、用いるものが多いほどに、今に補填するものは、偏りを示し、今に閉め出され、運命をとがめるだけに至り、互いが用いる理想が、互いをとがめるだけに至り、途端に苦しみを生み出し、今を阻め、意思を奪うだけに至る。