昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

相対性


 どんなものを書きたいのかすら欠如したままに、この白紙を埋めていくような予感から、引き出すエモーションなどは、シナリオを無視して、無意識をさまよい、意識下に現れる波紋を傍観する自己から乖離した自分をひけらかすような散漫な意識が傲岸不遜なものを破壊し、ここに現れる事だけを世界として認識する事からはじめようと思う。思う事とは、この意思の隣で横暴に攻め入り、制限を用い、誰かが生み出した答えを還元するほどに、権利を用い、意味に権力を持たせ、今を専横し、主義や思想が入り込み、意識的な遭難を繰り返し、相違するものとは、どこか似通うものであるし、どこからが他人のものであり、ここに現れるものに近付くほどに、ほとんどのものとの距離は深まり、そこに現れる間隔に嵌め込むべき是非すら無く、そこで是認したら最後、引きずるだけの答えに飲まれ、意思は、今に悲観するだけに至り、苦痛とは、考えを及ぼす限りに引き伸ばされ、今を覆い尽くし、つくづくに苦しみを植え込み、謳われる真実や、用いられる出来事に膠着するだけに永遠性を利用し、今に付着する死の節々に迫る死の端を引っ張るような生から生まれ映じるものが、永遠をも超え、唯一へだてるものは、そこで考えに及ぶ自己だけであり、自分を磔にし、はじめての神として崇める事から、墜落は始まるのだ、と惰性な領域から、行き違う過程や、貞潔を謳い、欠如を生み出しながら、今に奪い合うだけに至り、因果を踏み台にし、生まれた事に用いる疑問を脱ぎ捨てられずに、今に現れる苦しみだけに偏りを見出す。みちみちていく悲しみは、空虚さを利用し、そこに現れる空白を埋めるための闘争へと、あるいは自己を閉じ込め、そこに誰も居れずに、自らが備わる限りに現れる事だけに本質として備える供犠から、自らを他人のように感じ、自らを傍観し、自らの分身を生贄に捧げ、自らを破壊する事だけに専念するようなペシミズムに陥るか?はたまた快楽を追いかけるほどに、快楽に追われる事に身分を作り出し、崩壊していく観念は、自己顕示欲を肥大させ、ナルシシズムを抱え、完成されない自己を恨む事から、ルサンチマンを生み出し、奪い合うだけに至る権利から、犬儒的な思考は加速し、死に背き、誰かをあざ笑うためだけに、誰かを利用する事から否定的な人間だけを惰性に生み出すような仕組みこそが、正解であり、世界である、と宣言するような退屈な主義から、退廃は生まれる。何かを変えようとする限りに偏るのが人間である的な摂理を踏みにじりながら、権利を主張し、無情に意味を引き出すだけの卑近な価値をカタストロフに追いやるような革命から、原理は廃れ、原因は疎外され続け、自らの孤独に耐えかねずに、重なり合うものへと遂行する限りに意識は、追従する事だけに専念し、依存するだけに終えるような形あるものの義務に追いやられるだけの愛は、革命に至る前に、愛により、愛とは破壊され、自らが示す不快感に追いやられる意識的な欠如から、葬られるだけの惰性な意識は、境目を用い、モチーフとされる罪を背負うだけに、生命の起源や、緩慢な差異から引き取る恐怖や不安を考える事だけに専念し、先天的な痛みや、今にいぶかるだけに至るような体系へと損なわれるだけの意味に引きずるだけの悲しみをさえずる記憶は、やがて誰かの惰性な意識を普遍的なものとして扱い、自らに圧力を加え、空疎な意味や、今に引きこもるだけに至らせる。堅持する意味は、固定観念をたずさえ、今に付着し、記憶をむさぼる。このような硬い動機から、苛むだけの記憶は、臆するほどに窮境に迫る意味から、理論的な細胞を切り取り、何かと縫合し、新たな生命として躍動させ、苛まれる記憶が、飛び越えるべき今に分裂的に消費されるだけに、逍遥する意志は、今に鬱積するものを飛び越えるためだけに、自らの力を、自らのためだけに利用する。利用されるだけの関係を結ぶような世界との対話を始め、痙攣する意思が、横着なままに物事を運び出し、出し抜けようとせめぎ合う意思に鬱積するものが、静謐なものを動かし、情景に達する苦しみを脱ぎ捨て、むせび泣く現在に怠惰なものを巻き込み、毎日に迫る寂寞をたしなむ。記憶に現れる孤独な光景に処される苦しみへと疎外されるだけの自己が演じ続ける先で、裁かれるだけの意味を用い、もたらされる悲劇や、用いられる事により、増していく苦しみなどに起源を持たせ、意味を悴ませるだけに至るような窮屈な遭難者として現在を徘徊する意思は、虐げられるだけに至り、浸る意味から、悲観的に引き取る苦痛を倍増させる事だけに専念し、誰かが促し、宣言されたものを、あたかも自分が言い放ったように語り出す間に欺瞞は生まれ、意味を踏みにじり、不潔なものを運び出し、意味を吐瀉するだけの対象を用い、率いる意味へと引き込み、苦しみを与えるだけに至るような苦しみを縫い付けるような眠れぬ夜に血合いを施し、散漫な意識に置いて行かれた空っぽの身体に嵌め込む是非から、暗闇で抗う善悪は、互いを知らずに、互いをとがめ、傷つける事だけに専念する事こそが、弁証法であるのだ、と促すような誤りから、過ちは加工され、高潔なものは偽装され、そこかしこに過去から引き出したジレンマから、トラウマを生み出し、何かをフラッシュバックさせ、不安を生み出す事だけに専念するような生命などは、何が正しのかすらも知らずに、幸福を騙る。有史以来、騙し合う事だけに専念したような日々を徘徊し、対話を施さずに、そこかしこに正しいとされるものへと強制され、矯正されるだけに至る正しさとは、正しい事など無く、そこに権利を生み出す限りに、何かの力を借り、自らの意思は無く、何かに与えられた力でのみ、何かを裁く事だけを正しいとするならば、用いられるシステムなどは、退廃と破壊しか生み出さずに、今を保存し、補完されるものなどが攻め入る限りに、自由と愛は名ばかりで、騙られるだけに至り、浸る意味などは、悲観させるためだけに独善的に利用され、自分こそが、正しいとされる者がうごめく現代に相似し、近在するものなどは一切無く、そこに現れるものなどは、何も知らずに、真実だ、と信じ込まされている限りに至る答えなどは、答えに利用されているだけに過ぎず、魯鈍なものに陥り、そこに現れる意志などは、何かに追われるだけの意志であるし、そこに現れる力などは、自らの力にあらず、そこに現れる力などは、誰かが促し、外から措置された借り物の力である。