昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

哲学的な昇華


 あの空は嘆いているのだ、と君が愚行を正すような因果律の彼方で、寂寞に離れるだけの主体性を破壊するような尺度を持った論理と敵対し、絵空事を吐き出しながら、徘徊する深夜に導かれる官能的な解脱のシーンを断続的に、または、恒久的に傍観するような幼稚な企みから、秘密裏に満ちる日々に幼児退行しながら、彼は散る夜明けに黙示録を掲げ、抑止されるだけの悲劇の中でのヒロインを演じるだけだろうし、やがてヒロイックな夢を抱え、ダイナミズムに意味をなびかせ、喜劇的に生きるのであろうし、生きるとは、死を着込んいるだけであろうが、そこで諦観するようなニヒリズムに駆逐されるようなジレンマを抱え、むしゃくしゃするから、と弱い者いじめをするだけの今にすがるだけの多幸感にひざまずき、謳われるだけの信仰心は、やがて破壊的な容易さに自らを引きちぎり、悲観するほどに現れるペシミズムの虜になり、担うものや、縫い付けられるものを背負う事に置かれる義務的な要素や、蓄積する苦悩や、化合物を混ぜ込んだシリコンや、混濁する意識に迫る白昼夢や、ひれ伏すほどに勝る快感などが精神性を汚し、加算される原理は、やがて君を破壊するだけだろうし、そこに現れるものも、じれったいものであるし、やがて卑劣なものにひれ伏すほどに増していく快楽を呼び込むだけの機械や傀儡として生きるのであろうし、死へと迫り、慈しむ事すらできずに、今に奪い合うだけの権利が迫り、生命をカタストロフに至らせ、軽減されない痛みを生み出すナイトメアや、明晰な判断をできずに、囚われの身として恒久的に呼吸もできずに、あの空をうらやましげに見つめる塀の中での君の崩壊から、無為なものを掲げ、今に響かせる感応から、習慣的ななれ合いに卑屈さを重ね、起源を用い、今にはびこる悪意を受注し、それを生産的に生み出すのが、資本主義だよね、と謳う黒猫の懺悔や、凄艶に消え去るのが、生命の役目であり、そこに生きているものとは、過去に追いつかれずに、瞬間的に資するものであり、そこここで死を乗り越えられずに、便宜的な猶予を測り、はびこる悪意を生産的に捉える事が、超越のように扱われるような真理にもとづく身元不明のエゴを買い取るだけの人々のエロスに迫り、体内で生み出される計算式や、祝福が降り注ぐ満月の夜や、余罪を抱え、制限的に描く藝術的な余波から、観念論や、弁証法を超えて、騙るだけのリリシズムに整合されるだけの詩的な洋服に着替え、カスタムされた僕は、はどめも無くあふれる哲学的な要素を踏まえ、俯瞰に囚われずに、傍観的に迫る現時点から、裁かれるだけの宇宙の規律に基づく時折にひずむだけの存在を超えて、遙か無知で幼稚な論理をたずさえ、模写し、模倣するだけの傲慢な盛り場からあふれる業火や、後続するだけの言葉に乗り越えられ、ここに現れるものを、言葉で騙すだけに至らせるような感触をたずさえ、そこに描くべき是非は、今に是認されるだけの物事に透過させられる事が無ければ、そこに現れる正しさなどは、虚偽に満たず、そこに現れるものとして、白白しく生み出されるエゴが方法論のように今を屠り、君を包括し、母なる愛で捕縛し、混沌へと誘い、名付けられた途端に、自由と平和を軽やかに歌い上げ、具体案すら無く、ただ踊る事だけが、世界を正解へと導くつもりが、自らを独裁者に変換し、平衡する意識や、平静を保とうと疎ましくからまる利己的な保身を嫌悪し、顕在する意識を引き離し、貧寒なもので包括しては、疑念を持つ前に、偽善者として生きる事だけが、この死へと追いやられる恐怖に勝るような詭弁に打ち克ち、やがて専横され続ける事に耐えかねた人民が抵抗する訳も無く、同じような事を、同じように続ける事だけが、世界を世界として認識する手立てであるように作り上げた教育こそを壊すべきであるし、もう一度真理について究明すべきであるし、この術を取り除き、ロジカルな監獄へと引きこもり、自らのカタトニーと対峙する間に悲観するだけの輩が促す後進的な考えにひざまずくよりも、その先を行こうとするほどに、ゆがんだ思想を手にし、自らを独裁者へと育て挙げるだけの惰性さや、性差を用い、動作を不潔に変えるだけの遅れたマニフェストや、形成されるだけの痛みにゆがむだけの夜にちりばめられるフェミニズムを促し、男女に境目を生み出し、そこに平等を謳うほどに、間隔は生まれ、物事がゆがんだ結末に至り、男女間の格差は広がり、悲観的な考えが横行し、しあわせなどを謳うほどに、そこに生まれるジレンマに惑わされ、今に戸惑いの奴隷として、一切の権利を用いる事無く、権限とは、権力を用い、そこに生まれることごとくを破棄せずに、継続される事により、巨大な力は生まれ、誰も操作できないような力へと変わり、とがめられるだけの生命は、リベラリズムを謳い、軽薄な自己を啓発するだけの利己的な触診から、体たらくなみそぎを執り行い、ジーザスと謳う事により、右往左往し、権力を移行し、移動し続ける先にイドすら破壊され、リンクする記号や、かいがいしくむさぼるだけの餓鬼どもの閉塞的な観念論に奪われる主権や主体性は、死の外に追いやられ、生きる事と別離したものへと自己は捨て去られ、忘れ去れるだけに至るような動機や、臨界点を迎え、爆発する瞬間や、主体性を引き裂くほどの宇宙の終わりから、宦官どもが謳うような時代性の病や、やましい者ほど、やかましく騒ぐだけであるし、自分の罪をカタルシスに誘うべく、誰かを生贄にし、その犠牲をよろこぶような快感だけが、唯一の解決方法のようになってしまったからこそ哲学が必要であり、そのような時代を謳うような自分こそを疑い飛び越えるべきであり、そこにもたらされる義務に追いやられるだけの時代性などに正確性は無く、そこにもたらされる意味に権利を履かせただけに至るような嫌疑などに追いやられる者こそ、否定的であり、批判的にしか、物事を超える事を知らずに、逍遥し続ける先に迷いばかりが先行し、そこに生まれるガイダンスに従うほどに、ゆがんだものを、ゆがんだままに愛するだけに至る。