昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

群像の先で幼気なもの

 
 書いた瞬間に私の存在は曖昧になり、すぐさま私の存在などを定義するものは無くなり、存在自体は消えて無くなる。何かを行動した後にも、何かを残す理由すら無く、今が不潔に交わり、一切の意味を喪失する。何かを欲するとたんに意欲は消え去り、そこに残るのは、抑圧され、欲しがるほどにもがくだけの意欲が自らと乖離し、欲しがる理由すら見失い、今に苦しむだけに至る困窮などは、自らが生み出すだけの機会に過ぎない。そこに満たそうとする意識が存在する限り、欲望に手懐けられ、自らを喪失する。金=鬱屈という答えの中で垂涎する過程が、卑劣なものを生み出し、生きる、というまやかしの中で、自らを循環させ、暗鬱としたものを生産し続ける。恋の予感だけが、生命を高揚させ、関与する意味の密度が膨張し、そこに善悪を用い、意思に枷をはめる以前に、結ばれる確かさだけを強調し、確かな愛だけを押し広げていく。妨げるものを持たぬ愛は、物事の確かさを感じるよりも、自らの正しさだけを認識していく。死を匂わせるデザインと、生を検閲する意思が合わさり、ただ反するだけでは終えずに、明確な目標を用い、正しいものを謳わずに、自らに帰す。すべてを止揚したところで、すべては、まぼろしに終わる。ただ生まれる第三の位置により、計画は頓挫し、短絡的な破壊へと至る。革命とは、そのような危うさに気付かずに、自らを滅ぼすためのホロコーストなどを引き起こし、逆らう者すべてを、処刑に至らせる。啓発するものなどは、啓蒙には至らず、自分の利益だけを考え、自らを高めたふりをする。理屈をこねるだけを続け、自らを熱病に至らせ、酩酊し、強制的に高揚させられ、欲しがる快楽だけに動かされる人間ばかりを生産する。法とは、何かの暴走を止め、自由を守るためのツールであり、ルールでは無い。あるのは、純粋な理性であり、何かに制限を与え、自由を奪うための権利を用い、何かを抑圧し、抑止するためのツールでない。群像の先で澱んだものを浄化させるべく、続ける呪詛などは、短絡的な支配からの脱兎をもくろむような正攻法のツールには至らず、その場で至らぬものを消費し続けることだけが、確かな答えへと導くのである、などと促すだけの自らの閉塞感を癒やすだけの空疎な金言を放つだけに終わり、自らに溜まり込む汚穢や、そこで泥酔するだけに至るような出来合のもので世界に枷を嵌め、その場で生まれるものを膠着させ、同化させるだけに至らせるような言葉に入り込む偽の感情や、偽の表情などが、表現を奪い、理解を滞らせ、ここに膠着し、硬化していくことだけが、唯一の正解に導くのだ、という欺瞞にさえぎられ、些細なものからあふれる憎悪が、路頭に迷わせ、毎日に雑音を与え、何も聞こえなくするのが目的であるようなプロパガンダが意味に欠如を与え、物事の確かさを測る尺度を用いるほどに、物事に距離を与え、離れ過ぎたり、近づき過ぎたりして、確かなものも見出せずに、今に悶絶していき、指定される義務だけが、物事を理解することだ、などと促すような言葉こそ、まやかしである。ここに居座るものが攻め入り、リズムを乱すだけに至るような統合を目指し、堕落した観念を関係性に突きつけ、あらゆる論理で疎外させるだけに至らせるような制限を生み、雇用されるほどに未熟な身体は、魯鈍なものへと変化し、投影されるものに押しつけられる痛みや、退廃的なものや異物感などを抱え、寂寞に浪費されるだけの軽薄な意味を遂行するほどに、観点は喪失され、査定されるだけに意思が先々で奪われるだけに浸るだけに至るような現在にいたわれることや報われることばかりを求めるほどに、しあわせとは、名ばかりのものに変わるし、言葉や名に示され、閉め出されるだけに至るような怠惰なものが寂寥感を吐き出し、破壊的なものに妨げられるだけに至るような現在に間隔を生み出し、空白からはみ出してく自己が、利己的なものを備え、遭難するだけに至るような現在に利用されるだけに浸るような意味から、ちぐはぐなものを吐き出し、受理していく哀れみが、自らを矯正し、意思も損なわれ、操作されるだけに至る。滑落する思いは、追憶を這い、攻め入る理由に固執するだけの論理的な遭難から、衝動性を蓄え、宇宙的な強要や、宇宙の中で亡骸と化すまで閉塞感に至り、自らを倒錯させるだけに至るような値を生み出すだけの退廃的な価値になすり付けられる痛みが攻め入り、制限を生むほどに反撥していく精神は、行き違いを生み、出会いや別れの中で喪失感ばかりを蓄え、孤独に利用されるだけに至るような現在に顕示欲ばかりが目立ち、満ち足りない思いを創出していくことだけが、真実なのだ、と現在にひしめく理由は、今を閉め出し、意味もない闘争へと浸るだけに攻撃的なものを持ち出し、譲与されるものだけが満足感を生み、簡易なものに何かを変換していくだけに体系的なものに備わる価値に寄りかかり、自らの意志を損ない、孤立していく感性は、安易なものを神として崇め、設立される意味を復元していくほどに、そこに生み出される意思を奪うだけに至るような定理にもとづくエゴや、行為にひしめく罪悪感などは、安易な性悪説を騙り、調教されるだけに意思は、何かに従うことにより、虐げられることを目的に快楽を重用し、逸する先に報酬が生まれることだけに欲望の速度は増し、今に攻め入る理由が、理屈を飲み込み、自らが生み出す理由を踏み台にしては、妨げられる精神は、今に膠着し、自らが産み出すべき理由も、疎外させられるだけに至らせるような軽薄な定理にもとづくものよりも、自らが生み出す理由により、自らを偏らせるだけに至るようなものが、自らを孤立させ、孤独感などを強調し、ルサンチマンなどに変化し、偏執し続ける先に生み出される悲劇を誇張しては、何かを妨げるだけに至らせるような倒錯や、等位を生み出し、そこかしこにエゴを生み出し、吐き散らされる怒号に包まれ、慎ましやかなものすら破棄され、快活な動機も損なわれ、残るものは、今に惜別するものや、シーンに断続する残像のような愛の残り香や、残り滓を集めるような毎日の労働に高揚感すらなくなり、恒常的に感覚を喪失するだけの悲しみが敷衍し、混同していく意識的な敷居や、四季に織り込まれる意識的な関与や、途端に快癒していくような感覚に陥り、あたかも正しいものを、正しいもののように崇める先に生み出される罪により、自らを毒するだけに終えるような徒労から、途端に陥る苦しみに利用されるだけの不安感を往復させ、幸福などを謳うころには、自らの幸福などは、その場に何も残さずに、ただ心残りを用い、今を恨むだけに終える。