昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

優雅な思考

 
 永遠に飲まれる恐怖に打ち勝つためにニーチェ永遠回帰の思想に行き着いた。行き着く先とは恐怖かないが、ここに現れるものにあらがい続ける限りには恐怖などに屈さない。何かを同情に誘うような美徳などは、ルサンチマンペシミストが、自らを正当化するために生み出した怠慢な美徳である。ただ自らを美麗なものとして、清貧で、清潔な者として示すために、富者を憎み、富者が楽しむものを、軽薄であり、快楽的なものでしか楽しめぬ冷徹さを混在させ、富力でのみ支配しようと目論む一部の者が価値を下げ、自ら否定されるための材料として捧げるほどに、ルサンチマンはよろこんで他者をいじめ、誰かもわからぬような者を材料し、破壊し尽くすような猟奇的な快楽を用い、退廃的な自己を定立し、確立されたものに従うだけが悟性であり、真理へと至る道であるなどと促すほどに自らとの間隔が生まれ、自らの意思を失い、自らを貧弱な貧者として自らを卑下することが正当なものだ、と示す限りに、何かを恨むことから抜け出せずに、自ら提示する善悪に苦しみ、利己的なままに自らを意思を、自らにより抑圧し続ける先に現れる苦しみへの救済を求め、いたわることもできずに、浪費し続ける先に現れる苦しみを何度も反復させる。永遠にむしばまれ、ここで離れ離れになる現実から疎外感を膨らませるだけの孤独な一行にのしかかる重みなどは、所詮は超越に至らずに、その場でニヒリスティックなものに陥り、自らに酔いしれるだけに至るような言動から本質や真実などは生まれず、今をあやふやにし、欺瞞を重ね、ノスタルジーに浸るほどに、魯鈍なものに陥り、今に転換される苦しみなどは、疑似的な超越を含んだ信仰心などが瞬時に騙す限りに陰るだけの本質へと搾取されるだけの素材としてあたかも存在しているように見せかけることだけに専念するような市民的なほほえみから、冤罪を蓄え、自らに課せる罪の強靱さにやられ、途端に拗れるだけの精神は、飢渇を謳い、自我を騙すことだけに専念するのであり、そこに用いられる苦しみなどは、猜疑心を服用し、自らを自らの毒で殺めるようなメタファーから、毎日に迫る愚鈍な企みから、怠慢な履歴に下される意味などは、今に風化し、空白へと変わり、ここに拗れるだけに至るような一日を虐待し、位置的なものを批難し続ける辺りから、意味とは、今との距離を深め、そこで酩酊するだけに至るような血合いを施し、空虚な身体に入れ込むべき愛も、ベクトルを用いずに、自らの重さと軽さに支配され、用いられる尺度でしか物事を測れずに、そこで判断するものといえば、自らとの距離を埋めるためだけの空疎なほころびを生むだけに至り、そこで導かれる答えなどは、ことごとくに専横され、占領されるだけに至り、そこで虐げられるだけに満たない意味から、攪拌されるだけに至るような精神が関与するものが潰瘍へと変わり、自らを痛めつけ、そこに束縛するだけに至る。ここに生み出されるひずみがリズミカルに踊る。胎動で会話を続けるほどに母との愛は深まり、愛と掲揚される以前に、ここでの愛とは名ばかりの愛に締め付けられずに、無償とされるものが促す価値からも離れた愛だけが、愛として名付けられる前の本心を子に語る。そこで語られるものは、何の代償も求めず、そこでとがめられるものすらなく、そこに果たすべき義務もなければ、不満も不安をも乗り越える限りに愛とはすり減らずに、増えることも減ることも同じ枠の中で処理される限りに、同じ意味に拘泥し、同じ答えの中でまかりとおるだけの苦しみを演じることだけを続ける。演技的な苦しみだけが、善良さを謳い、そこで正義とされるものだけが、途端に善悪を決め込み、君を位置的な苦しみへと放置する疎外から、損得は生まれ、そこで損害を謳うだけの連中が用いる法から、官僚的な制裁から、散漫なカタルシスを執り行うような儀式的なもので疑似的な昇華へと至らせるような宗教的な試みから、混同していく意識にプロセスを用いず、プロパガンダで支配へと至るような操作的な余波から、緩慢な作用を生み出されるほどに、ほどける身体は、他者を介し、自らの快感を原則的に放り込むだけに至るような傀儡である空虚な身体を傍観するだけに至るような売買から、倍増する痛みに耐えかねずに、今に重なる義務的な意味に屠られるだけの空疎な意味へと裏切られるだけに至り、搾取され続けるのを傍観し続ける先に現れる苦しみすら感じぬようになるような移行から、この苦しみとはどこにも作用しないで、今に浸るだけの悲しみへと移行し、そこで陥る闇から抜け出せぬような仕組みを生み出すような答えを流用し、何かを騙すことだけに至るような輩こそを排除すべく、すべては、弱者が用いる言葉により、作用は高まり、そこで互いをとがめるような偽善的な戦争から、退廃的な互換を終え、ここでこしらえる絶え間ない痛みから、他愛ない日常を恨むだけのベクトルを溜め込み、ここで利用される限りに滑落し、渇望し続けるほどに、補填される欲望とは、次なる欲望を生み出すだけの発作として、或いは、カンフル剤として扱われ、ドーパミンを促し、快楽を簡単に生み出す限りに生み出される欲望の住処として傀儡化した身体を他者に或いは世界に明け渡し、ここでの活動をサイクルさせるためだけに、自らを提示し、提要なものすら見出せずに、あたかも何かの役に立とうとするほどに、その場で淘汰されるだけに至るような虚偽や虚飾を孕んだ懶惰な者としてしか生きられないことを謳うような現在にも、虚偽ばかりがまかり通り、自分すらも失う限りに、存在とは、その場での活用を求めるほどに、存在自体は、損なわれていく。