昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

抉る


 システムも潰えた後に広がるものが、同じような意味を敷衍させ、普遍的な生活へと迎合されるような価値だけをまさぐるような仕向けるような偶像に補填されるだけの感情などは、機械的なものであるし、機械よりも、機械的であるのが、人間的な社会というものをこしらえるために国家が保つ幻想などが、今をいびつなものに変えるし、ここで拘束されるだけの愛などは、愛と呼ぶには軽薄なものであるし、浅薄なものであるし、そこで促されるものなどは、何の正しさも知らずに、今に蓄積される苦悩に効能を求めるばかりで、自らの傷の癒やし方もわからぬから、と誰かを傷つけることだけが、正しい儀式である、と宣言する法の中でしか機能しない意識下に現れる普遍性などは、清潔さも保てずに、用いられる不安を苦しみに変換することだけを数え、そこで計測される範囲でしか、自らを美化できずに、そこに芸術性すらもなく、現れる変化にあらがうばかりで、自らのミリタリズムを育てるばかりで、一向にバルガーなものとして惰性な意識に課せる罪から、快活な動機すら損ない、そこで磔にされ、はじめて自らを神として認識するものをくらうようなカニバリズムが横行し、遺伝子的な境域に狂気を用い、あらがうすべてを根絶するようなウイルスとして活動するのが人間の本性であるし、ここで品行を求めても、流動的な暴力の上では、意識などは存在せず、何かに偏ることでしか、自らを認識できぬようなものこそ哲学を学ぶべきであるが、マニュアル化した人間などは、せいぜい知り得る範囲を得たように思い込むことでしか、自らを正当化できずに、そこに善悪や正当さを促すほどに邪悪になるような反撥から、ここで反復し続けるシステム的な悪意から、偶像崇拝へと至るだけに意識を這う歴史的な過ちが蓄積したのが、答えであるのに、君たちと言えば、何かと信じる者が救われる的な経済的な退化を繰り返し、ここで戦争に至るだけに至るような資本的な限界点に達した途端に極右化するのだろうし、ここで原典を求めても、あらゆるものに懇意であること、或いは権力に荷担する者だけが、過ちから逃れ、自らを正義として褒め称えられるような盾すら不必要であるし、あらゆるものから浮遊するような無重力な観念こそが、ここで計測されるだけの意味に囚われずに、この存在、あの存在、そこここにいるような、どこにもいないというジレンマに嵌まるような存在から放たれ、方方に飛び交う意識的な締結から、恬淡とした自己を保ち、ここに備わる今などは、今に交われば途端に過去になるだけの異物感を抱え、ここで束縛され、絶滅するに至るのが、存在が存在であることの哀れであるし、ここで持ち込まれるものなどは、今に倒錯するだけに至り、ここに起源を用い、何かを流用することでしか、価値すらも見出せぬような者が支配を続ける限りに終わらぬ対立は、永遠性を深め、ここで中立を持たずに、保たれる意味すら消え去るような憎悪を生み出し、酩酊し続ける意識は、自らの苦しみに拍車をかけ、誰かを呪うことだけに観念は正当なものを継承し、今に現れる苦しみに抗い、ここで訂正される者との聖戦を繰り返し、自らこそが正しい者の血を引き、ここで引き合わされる物事に継続していく苦しみに染みいるいくばくかの可能性すらも引き裂くような論理や、獣が生み出した代償から、ここで締結していく意識が正しいものに犯され、自らを正しいものとして示唆する限りに対象とするものを悪に染めるような過ちから、ここでパラドックスや、パラノイアを生み出す化学兵器が降り注ぐ予感から、亡命すらもできずに、果たすべき義務を謳うだけの世界などは続くのではなく、続くことを義務化しただけに至り、そこに継続されるものなどは、あたかも続くように思えるようで、ここで終わりを綴るだけに至るような物語の中で磔にされているだけの時間に閉じこもるのが、この生命であるし、画期的なものや、相似するだけの観念を軽蔑しても尚、ここで継続されるものが、創造性すらもなく、ただすがるだけに至るほどに、兌換される過ちから、ここで書き換えられても、数えるだけの真理では、死をも乗り越えられずに、ここでこしらえられる独善的なものに支配されるだけに終わり、ここで終わりと促すような終わりこそを乗り越える者であれ、と誰も言わぬなら、自ら何度でも言い聞かすような洗脳から、蝉蛻すべく、ここで選択することすらも、何かにすがり、そこで答えを求めるほどに、かさばる意味から、心ない何かに荷担するだけの意味的な何かは、位置的な何かに関わるほどに、加算される原理に意思を奪われ、利子を支払うだけに至り、いぶかる先に生まれる強制的なものがエゴイズムを加速させ、自らを奪うものすべてに敵意を放ち、ここで持ち込まれるものすべてに解消されない痛みなどないの、だと深く傷ついた夜を救うようなひとことをこぼし、君が凍えても、私だけが正義すらも促さずに、君が君である意味なども求めずに、ここに用いられるすべてなどは、誰かが作ったものでしかなく、ここに用いられるものなどは、意思を奪うだけに至り、軽薄なものを促し、カタルシスに至らずに、カタストロフに至らせるだけの徒な消費から、ここで構築されるものなどは、哲学の外で解消されるだけの無意味なゲームであるからこそ、内部では多大な影響を与えるのであり、ここで家庭的な経過から、形骸化するだけの意識が惰性なものを生み出すだけの踏み台としての生命から脱兎をもくろむべく、そこで目録として捧げられるものを引き裂くような強者であるべく、君の側に寄りそう最後の者であろう。