昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

壊れた問い


 帰るべき場所や、逃げるべき場所を提示すべく、国家や意味を超え、あるいは、語られれだけの自由が重圧を与え、信じたものなどは、裏切られるためや、乗り越えられるために、自由とは存在するのであり、自由との結婚は、今に隷属し苦しみを敷衍させ、あらゆる理由は正義を乗り越え、自由を超越すべく、自由とは、自由として存在する。死の外側に放り投げられた我々は、帰るべき場所を探し、さまよい続け、つまずき、逃げ回る君の儚さこそが、詩的に昇華され、事実としての完全性を生み出し、制度に付着する自己から飛び立ち、あらゆる善悪と調和する。需要と供給を終え、真理をまとい、空間を旅する時間との別れも終え、ここでの役目を果たすだけの義務である死との調和を施し、はじまりとの交わりから、ここでの一体感とは簡易な瞬間にとどまるだけの永遠性へと飛躍するような瞬間との対立を続けることにより、国家や意味を超え、アナーキーに成長していく過程から、枯渇しても尚、順序を捨て、思い思いに耽る今が純然としたものであるべく、すべては思想を持たずに、ここでの調和を含ませた同一化を施す的な言葉をこぼすタオイズムから、流動し続ける意識とは、どこにでも混ざり合うことが可能であり、不可能を持たぬからこそ、自らの意志は制度を持たずに、そこで付着することに増していく猜疑心を乗り越え、ここで孤立する神経から、疎外し続ける先に現れる過程から、転化し続ける先に飛躍よりも、超越のほうが近道である、という誤りに気付かずに、遠さと近さで測る間には、距離が生まれ、今に苦しみで阻めるだけに至るのであり、そこに距離を用いるから、国家を形成し、人間的に苦しむのだ、とレプリカントは語り、かけがえのないものなどは、電脳世界間では、簡単に流行していくウイルスに侵略により、自我などはほとんど無意味なものであるし、同調する意識を露呈するような精神などは、邪魔なものであるし、ここに論難を用い、何かを否定し続ける辺りから、言葉すらも邪魔なものになるのであり、ここでリアリズムを消化し続ける苦しみに耐え抜くことでしか、生きていることも実感できない人間などは、記号化すべきである、とネットワークの中枢で神経を麻痺させ続けるよなバグから、征服されるだけの感情を保とうと必死にもがく人間的な悪あがきをあざ笑うコンピューターウイルスどもが徘徊する深夜に論理は敗退し、ここで哲学的に郵送される真実ですら、最後の疑問を終え、捏造されるだけの真理を真理として受け入れることでしか、自らを認識できないような存在などは、死の影を背負い、義務的に生かされ、放牧され、与えられた餌の感覚でしか、存在を認識できないようなカタルシスを生み出すのが、国家的なシステムの中での価値観の家畜としてしか生きていることを肯定できないように仕向けるようなシステムの虜と化するだけに至るような囮を作り出し、何かを統合することでしか正しいことを正しいものとして認識できないようなものだけが、力として認識され続ける限りに、我々は鍵を失い、そこかしこで迷うだけに至り、逃げることを知らぬから、そこでの苦しみにとどまることだけが、あたかも正しいことのように認識する誤りに気付くべきであるし、そこで逃げることを知らぬから、君は、不安に苛まれ、今に厭うだけの価値を価値として出迎えることでしか、自らを認可できないのであり、そこで同情することだけが、自らを正しい者として世界と統合し、あらゆる原理を損なわずに、ここに現れるしあわせとは、何かと同化することだけであるなどという勘違いを生み出す以前に、誰かに指図される以前に自らが生まれた途端が前後左右であり、生まれた時から時間は進み、生まれた途端に阻むだけの世界は、世界として勝手に入り込んでは、背徳者である、と決め込み、危険であり、悪である、と決め込む正義たる独裁者との対立を生み出し、ここで相続するものなどは、過去からの苦しみをここで繰り返す反復することだけが正しいことのように示唆するような正しさだけを認識することが、唯一の正義であるのだ、という欺瞞から逃げ出すべきである。何かの複製品である定理に基づき、同じようなものを作り出すことに置かれるフラクタルなものなどは存在せずに、微妙な違いに気付かぬ限りは、同じような定理に支配され、理屈を捏ねる者として疎外されるだけに至り、あらゆる正気とは、捏造された真実から、同調することで、平衡を保つように思い込むように作られたものを崇めることにより、自らをリアリズムに仕立て上げ、そこに現れるものしか愛せないように思い込むことだけが、世界であり、正解であり、ここで高潔なものに変わる答えであるのだ、というエリート主義ではなく、自らを強固なものに変えるような超エリートを作り出すべく、意思とは簡単にねじ曲げられずに、自らを正しいと思う限りに自らとは正しくあろうとせずに、何かに加勢することもなければ、そこに現れるものにあらがうことにより、より強力な意志が生まれるというような自らを至上の者へと突き上げるような昇華に恍惚感などもなく、そこには恬淡な意識だけが、浮遊するでもなく、そこに存在するように存在し、そこに現れるままにあるところにとどまるわけでもなく、ここでもなく、どこでもなく、どこにでもいるように仕向けるように仕向けるものこそをひるがえすような者であるべく、すべてはすべであとして有する以前に、私は、ただ私であることだけをよろこぶ。