昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

身体から超え出ていくもの


 権威的なものに反するほどに、権威的なものに陥るというジレンマから逃れるための力を授けることにより、そこには権力に傾き、自らを道化や傀儡と化するだけに至るような定理が用いる諦観に屈従するだけの軋轢を生み出す互いのとがめるだけの批判が降り注ぎ、散漫な意識に情緒すらなくなり、対比されるだけの現在に点在する意識に隷属するほどに、存在とは損得で測るだけの愚鈍なものに陥る限りに、陰る本質は、正しさを憎むほどに、自らが正しくなるという原理から理想は、今に意味を見失い、意志を捨て去り、蔑むだけの意味を批判するだけの快楽に沈む記憶に従属するほどに自らの痛みにほどこされる非道なものを信心し、アニミズムを持ち出し、自らが原罪の役目を果たすような人間から神へと超脱していくような似而非超越から、悲観するだけの心情に統合されるだけの正常さなどは、そこに差異を用いずに、何かを信じることだけが、誠実なものであり、自らを物質化し、暗澹とした心情に比例するものだけを虐めることだけが、自らを慰めることになるのだ、というファルス的な憎悪にひずむだけの空虚な身体を引きずり、散漫な意識に埋め込む冒涜から、いじらしい精神のジオラマを形成し、それを壊すことでおとずれる快楽へとひざまずくのが人間の哀れであるし、そこにあらがえずに昏倒していく意識は、執念を用い、終焉へと引きずる恨みだけを加速し、今に加工される意味や、意志を損ない、そこかしこに受理される意味に帰依するものだけを選りすぐり、自らを神格化していくほどに魯鈍なものへと変化する意思は、意味を損なう限りに信じるべき自己を持たずに、今に磔にされる自らを崇めるだけの自己陶酔から、心理的な作用を用い、何かを騙すことだけに専念するような洗脳からの解放を目指すべく、超越とは、その場での苦しみを超過していくだけの痛みを発散させるために利用されるものではなく、そこにあらがう限りに反する意識が自らを苦しめても、その場で屈従することなく意志を敷衍させ続けることだけが、超越へと自らを誘い、そこかしこに現れる物事との対立を深め、孤独に打ち震えていても抵抗をやめぬような精神だけが真実とも正義とも自由とも呼ばれずに、実存主義的な超克だけが、構造主義を超えて、文学的な昇華から、短絡的な同化を目指すだけのタナトスを超えて、自らの死へと逸脱していくような生を証拠に残すよりも、この場での屈従こそが卑屈な連絡を重ね、そこに苦しむための連帯感を生み出すような全体主義を打ち倒すべく、そこで操作されることに甘んじていることにすら気付かぬような者が謳い出す真理などは、真実に至らずに、答えに同化することだけが、自らを保存し、補完されるものにより、自らの豊かさに至るのだ、という過ちへと移行していくほどに、愚鈍な自己に気付かずに、今に屈することだけが、唯一自らを救う方法論である、という幻想からの逃避すべく、夢想し、想像し続けることだけが、豊かさを乗り越え、ここにおとずれる苦しみからずれていく限りに、感覚とは誰にも左右されずに、そこに勘違いを生み出さずに、少々のずれがあるからこそ、生きていることに価値などは求めず、求める限りにおとずれる価値などは、今と合致し、少しでも同調し、同情される限りに自分とは正しく査定され、社会的に認められるなどという幻想こそが、自らを愚鈍な者に変え、物質的なものとしての立像を抱え、自らの影を枷に変え、今に生きているなどという妄想から抜け出すこともできないままに、移行していく存在とは、その場での役目を終え、次々に自らを脱ぎ捨て、他者を媒介し、自らの存在をでっち上げるだけに満たないような未来へと倒錯していき、そこにおとずれるペシミズムに荷担し、自らの破壊とは、世界全体を破壊するための力学に変わるのであり、そこに利己的な死を迎え入れては、短絡的な死に巻き込まれ、孤独に失することしかできないのが人間ではあるが、孤独であるからこそ、創造的に昇華させ、自らを認識し、求めるよりも、そこに現れる数々の出来事を向上させるために絶えず自らとは存在するフリをしては、妨げられ、演技を続け、独善的な判断で求められるものに絵空事を重ね、空疎な自分を磔にすることでしか、自らを認識できぬような生き方を超えて、あらゆる方法とは、放浪し続けることにより、論理は放棄し、好奇心だけで、ここにおとずれるものとの摩擦を続け、自らが産み出すものだけが、物質的な猶予を用い、何かとの間に生まれるパラダイムを超え、乗り越えられるものが精神であり、存在は唯一乗り越えられないものであり、そこに測るための機能などなく、そこにおとずれるものとの調和などを求める以前に、存在は存在として、その場で厭わずに何かとの融合をすぐさま終えているのであり、そこにおとずれる精神との軋轢を乗り越え、自らを認識し、居場所などを求めるよりも、分裂的に逃げ惑い、そこに証拠すら残さず、滞留する意識を捨て、傲慢な差異が用いる差額などを無視し、短絡的なものへと移送されるだけの真実などは、真理を持たずに与えられた倫理観でのみ何かを破壊することをもくろんでは、ほくそ笑むような連中が何かを虐げられるために作った歴史により、動作するだけの傀儡に過ぎず、そこに示唆するものなどは、自らの過ちを隠すために補填するだけの答えを生み出し、何かを見出し、何かを正すことができるのだ、という権力や権威こそ超えるべきであり、超えられるべき何ものかであるのは存在ではなく、精神である。