昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

平静


 規定されるままに過ごす一生とは檻の中のようだ、とオーガズムにひたるだけの権利が毒々しいものを虐げ、したがえるものに悲観をうながすだけの感覚とは、憧憬を続けるだけで、一律の意味に神を求めるだけで出来合のものを信心し、みすぼらしい現在から逃げ出すための道楽が荒んだ感情を癒やすのだ、と言い分けがましく補完されるほどに倦怠感は増していき、今に諦観をうながすだけに至るし、ここで効率良く何かを補完し続けてもなお、分裂していく意識は、対立を深め、終わらぬ軋轢から、戦争は荒んだものをどんどん生産的にうながし続けるし、ここで受け入れるものとは、偏るだけの思想に至らせ、思考停止に陥る全体主義的な余韻から、因果律に引き離される君との愛や、君との意味すら厭わしいものに変えるようなウイルスをまき散らし、観点から疎外させるためにプリミティブなものを用い、何かを信用することで、何かから救われるものだ、という肯定的なペシミズムに陥るだけの同情から、浪費していく精神とは、観念論から逃げ出せずに、実存主義的な優美さに遊離し続け、用いられる差異から、ここで再開発されるだけの現在とは歴史の中で鎮座する正解の中でしか答えを求められぬような正否の中でしか、自らを正解へと誘えぬように現在に転換される悪とは作られたものであるし、創造主を捏造し、何かを憎悪するための理屈を並べ、神々との闘争から、ここで倒錯するものを踏破できぬから、ここでつまずくだけに至り、何かにひたることで場になじむという幻想から、経験論をうながし、漠然とした悪意をむさぼるだけの幽鬼として存在する存在をそこなわせるだけの有徳さを補正し続ける真理などは、今にみちびきを生み出さずに一瞬の痛みで逸脱し、自らから離脱し、加算される痛みから生み出される戸惑いがやがて諦観へと移行し、その場で膠着させ、現実味をそこなわせるだけにいたるような即席の贖罪から、体系的なものがひろがり、何からの自由を奪う不自由を作り出すだけの製造から、相違し続ける限りに果てしない倒錯にいたるような無知さを攪拌し、あらゆる差異との衝突を繰り返し、その安全性をうたがわぬような全体主義的な容易さから、要因とは、何かを成し遂げる前に、ここであつらえられるものに依存することでしか、生きていることも認識できぬような生き方が正義というのなら、ここにある正義とは、清貧さを求めずに、何かを奪うための強盗であり、そこで統合されるものが用いる正常などは、そこに用いられる意味からはみ出さぬように、と用いられた答えに隷属する奴隷の真理であるし、そこで強制的に用いられる意味とはむらがる意味の中で繰り返しうながされる位置の魑魅魍魎であるし、みちびかれる意味とは、今に卑近なものに変わるし、ここであつらえるものこそが、今を悲観するためのシステムの中で垂涎する者の餌として補完され続ける心身とは、新体のための生贄であるし、あらゆる論理の中で売買されるような生贄として、その人生を真っ当なものだ、と認識するほどに悪に荷担し、何かを食するよろこびに遊びを用いるような残酷さを孕んだ懶惰な生を真っ当する。そこで保持する苦しみとは、理解を得ようと、何かを求めようとするほどに、苦しみとは増していき、いくつもの可能性を否定し、今にとどまるほどに、ここでの苦しみを補填し続ける。ここでさいなまれる意味との統合を目指すだけの正常が、ここでの差額を埋めるために文明の餌として、自らを儀式に投じるのだ、というようなアニミズムに倒錯していく原理的な我が子を葬るように、何かでがんじがらめになるほどに、そこでおどけ、おどらされるほどに愚かさを強調するような原罪こそが、いちばんの愚かさを含んで、何かを否定することだけが、ここでの進化を育むのである、と宣言するようなセンテンスに騙される以前に、内面性がなぶられ、今に観点に疎外されるだけの君の無知に迫る歯がゆさに破壊的な政治性から、清逸な主観を用い、短絡的な動向にひきずられるよりも、ここで要理を用い、林立するものなどは、邪魔なものに変わるだけだし、ここでバラバラになる主体は、探されることを待つばかりで、今にまじわることを知らずに、今に邪推し、何かを恨むような性悪説から逃れるべく、この意味とは位置を持たずに、ここでバイタルを増幅させるための創造性だけを蓄え、ここに孕むものが権威的なものに囲われ、加工された品位を用い、倫理を盾に、何かに取り込まれることを傍観するような諦めに屈従するよりも、どこに居ようが不安とは増すし、何を持っても、何も持っていなくても不安とは消えないものであるし、何かに追われるほどに、強迫観念は増していき、邁進していく今も、今に意味を見失い、自らを恨み出す始末から、姿勢は狂い、ここで何かに偏ることだけが、正しいことのようにあつかわれ、あいまいな今に始動していくものも、意識をしどろもどろに変えるだけにいたるし、ここで保たれる愛とは、継続されるものではなく、そこに契約すらもなく、ただ愛することすら思わずに、自然に放つような愛だけが、愛と呼ばれる前の、形すら持たずに、今に体系化する以前の愛が何かを強要せずに、理想論にいたる前の愛が病になる以前の時折にひずむ優劣が運ぶ優越感にひたる前の愛に帰り着くような感覚だけが善悪を越える。