昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

悲しい動物


 主体は孤独感をかかえ、夜と訣別していく。カモフラージュされた過去に雲隠れした風景に鬱屈していく精神が、現在をゆがめ、自身に冤罪をふっかけ、自らに罪を課せるような儀式的な愛が苛める間に不規則に現れる時間との対立を深める主体は、自分につかまつるものに信仰心を与えるために、自らを神として崇めるべく、枢要なものを謳い、具現化されていく痛みを加速させ、幼稚な痛みの中で帰任するものに付着し、論理の中で捕食すべく、アクセスするもにウイルスをばらまき、自らを崇拝するために操作するようなネットワークの中で逡巡する私は、体たらくなものをいっさい信じずに、真実に変えられるものなどは、今に代償を求め、解消されない痛みの中で背徳をかかえ、怪訝なものを育て、惰性に描かれるものだけを真実として捉えるような認識にそなわるアニミズムなどが、神を誇張し、意味の中で孤立させるだけにいたるような人間との対立から、大義を見出せずに、今に生み出される苦しみの膿をつぶすために、時折にひずむ優雅な離間に潜む影を育て、自らをとがめるためだけに怠惰なものでくすませ、空洞化にいたった精神にはめこむべき満足ばかりに追従していく意識は、今をしたがえ、与えられる罰により、補正された真実を培養し、強制的な復古から、懐疑的な日常に迫るセンチメンタルなものにセグメントしていく意識的な何かを広大無辺に広げさせる無縁な者が示す尺度が与える定理にもとづく迎合から、傀儡として生きるための概観を襲う対立から、ここで澱んだ意識を囲い込むだけの受理から、解放されるための闘争へといたるような終わらぬ戦争から、苛まれた意識は、何かを恨むために対象を生み出し、自らのためだけにもとづくものにいびつさを表すだけの計算から、限界を生むだけにいたらせるような権限が現れ、そこで凝固するだけにいたるものを傍観し続けるほどに現れる諦観にあらがえずに、今に現れる苦しみを復元し、複製された真実を崇めることでしか、自らを認識できぬようなものが大衆であり、そこで操作され続けることだけが、幸福であるように示すような規律を保つことでしか、自らの存在を世界の中に表す方法がなく、ただ現れるものにあらがえば最後だ、と認識させるような情報の中で重用とされるものを崇めるほどに、自らとの距離とは深まるものであるし、やがて滑落する意志は、互いをおとしいれるために力を使うことが、正義である、と誤認し、そこに現れる力だけが、唯一正義を語れるものである、ということに疑念も持たずに、信心する先におちいる闇に吸い取られるだけの純粋な意志は、暇つぶしに屈従し、やがて現れる苦しみを漁るだけに明け暮れるような貪婪な者として生きることだけが、世界を正解に導くのだ、という哀れを加速させるような同情に酔いしれ、自らを正すための同情が進化をとがめ、そこに生まれる欠如を埋めるための祈りが、自らを弱くも強くもさせる間に空疎なものが肥大し、ニヒリズムは、ただ止めどない破壊を生み出すだけに生まれる諦観を膨脹させ、自らを苦しめるためだけにあふれるものを信心し、そこでそなわる理性をも破棄し、自らが正しいと思う限りに破壊し尽くす間から生まれる権限などが今を締め付け、現れる使命感に酔い痴れる革命家は、自分が正しいと思う限りに渇望を生み出し、独裁者へと変化し、自ら生まれる猜疑心に苛まれ、自らを苦しめるほどに暴政を生み出し、悪趣味なニュアンスが閉め出す意識の外での闘争を現実に巻き込み、何かを殺めることでしか、自らの欠如を埋められぬようなサディズムへと陥り、ここで渇望するだけの全容を捉えきれぬ感情に補足される法則的なものに囚われるだけの捕囚どもが叫ぶ間にひしめく高揚感にひたるほどに、自らの惨めさに耐えかねずに、あらゆる論理を破棄し、画期的なものを生み出したという誤認から、ここで利用されるだけの価値を乱用し、自らに依存する先に現れる屈辱や恥辱に耐えかねずに、自らの矜恃を餌に、操作する間に生まれるプロパガンダがひしめく時間に囚われた自己を回収するための儀式が加速し、自らに連動する死のイメージや、衝動的な破壊を抑圧できずに、統治するために乱立するイメージから逃げ惑うだけの意志は、自らの弱さに気付かずに、現れる苦しみを打ち倒すことでしか、自らの弱さに向き合えずに、与えられただけにいたった英知を使い、自らを無駄に消費することだけに現れる苦しみに打ち勝てずに、何かに抵抗するものを捕らえ、儀式的な昇華の生贄として捧げられた者の命を簡単に処理するような倒錯から、屠殺されるために生まれた動物たちが連想する死が巻き込み、空回りする現場におちいるだけの強大な死から逃れるための闘争から、統合を強制し、全体主義を生み出し、浸透する自己欺瞞から、ここで緩慢に現れる傲慢な者が示す尺度から、自己陶酔的な釈明で昇華にいたるようなマゾヒズムをかかえた真理を抱え込んだ混濁から、感覚すらも失い、痛いかすらもわからなくなってしまった大衆を操作するための勝利を謳うような馬鹿者の至福を連綿と綴るような意識が引き出すような悲観が迫り、狭い価値にとどまるだけの人間は、自らの勝利に酔い痴れるほどに、補填される苦しみを引き出すことでしか、自らを認識できないような悲しい動物におちいるの、だ。