昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

永遠性


 誰かは、誰かが待つ家に帰って、誰のことも考えないだろうし、誰かは、誰も待っていない家に帰って、誰かのことを考えているだろうし、そんなことを毎日繰り返す。どれほど何かを読んだとしても、そこに現れる物陰に隠れる意思を収斂し、連動する苦しみを取り外し、多目的に流動する理論をすなどる帝国主義的な犬が躍動する偽善的な春を越え、むしばむ夏がこぼす汚穢や、終末論的な抵抗をほどこすペシミストを蹴散らし、生きるとは、今を補完せずに、悲観するほどに支払う義務に追われ、終わりをほどこすようなペシミズムにおちいる前に、自らを昇華させる。永続するものが、面影を覆い、今を過去に補完し続ける。たまるだけの過去は、贋物の永遠性を永続させるためのウソを自らに課せ、永遠であることを認識付けるために、自らをとがめ、騙すことだけに専念するのが愛である、と散漫な意識が互換し続けるものが、あたかも価値らしく仕向けるほどに、補完されるものは、ペシミズムに陥り、今に矛盾をはらませ、自らに枷を嵌め、世界性をそこない続ける。あてがわれる性が、次元を越え、乖離する理解から、時間に集約される存在を囲う空間を織り成し、今に折り返す苦しみや、そこで繰り返される苦しみに集約される約束が義務を課せる。強制収容される意思は、ルールに加工され、枯渇し続ける精神は、脆弱化し、感傷的におちいり、応じる答えに集約され、自らを感化できずに、感覚を損ない、そこかしこで補完されるものと訣別する。もっとわかりやすく書き散らすような夜の湿地帯に描くエロスが轟轟とうなり、シンパシーをくすぐるような諦観の夜に余罪を追及するだけの法を切り裂くような言葉が降り注ぎ、迎合されるだけのものが示す窮屈な差異から放たれ、善悪とは、そこで用いられるほどに腐るだけにいたるし、そこで退廃するようなものをかかげるよりも、ここで加勢もされずに、もたらされる威信だけが、自らを強調し続けることのよろこびだけに耽り、ここで転じるものに移行するよりも、そこにあらがうほどに若々しく散るような夭逝の夏に示すものが、緩慢に作用し、もたらされる苦しみなどは、所詮は、四季が示す徒でよこしまなものが屠るだけの現在に展開していくものが、転化を続け、ここで慧眼を用いずに、与えられるものをそのままに受け取るだけでは、ダメージを与えられ、そこでの苦しみの横柄さに苦しむことが、あたかも生きているように感じるのだ、という哀れなどは、空疎なものを踏み台に、自らのニヒリズムに膠着していくだけであるし、そこでのよろこびを感じるための苦痛などは、瞬間的なよろこびを永続させるかのごとく感じるのだ、というような苦しみが生み出すルサンチマンが作用し続け、妨げるものを恨むほどに、自らのよろこびは加速し、そこで課せられる苦しみにより、拘置されるだけの自らに与える少々のよろこびのために、今を弔えずに、ただ与えられる苦しみを感じるための苦しみを呼び覚まし、反復し続ける苦痛は、今に痛みしか感じとれなくなってしまう。あらゆるよろこびは、今を明晰に転じさせる。些細なものに感じるよろこびを暗示させるような虚偽表示が示すような宣伝的なものをうながすような井蛙な者が示すものが今を孤立させ、ここで正解も生み出せずに、惰性な者が示す物質的な優位や、そこでの猶予を保つための交換を続けるほどに、自らの満足から懸け離れ、与えられるものにあてがわれるものだけが、自らのよろこびを加速させるものだ、といような満足などは、そこで与えられるものからはみ出せずに、そこに現れる分のよろこびを感じるためだけにはたらきを加えるようなもので満足することが、自らの満足である、と示すようなものが示すよろこびなどは、与えられたよろこびであり、そこでのよろこびは永続しない。創造的な飛躍を終え、ここで交換されるものへと跳躍し続ける意志は、妨げられるほどに、自らが飛び越える意思を捉え、そこに与えられる苦しみなどに鬱積するものを超克し、ここで固執するものなどは、貪婪なものを用い、有する強欲が示すものに転換していくものが観点を奪いながら、謳われるものが持ち出す言葉に左右され、自らの思議を破壊するようなバビロンが持ち出す思想に混濁するだけに終えるような主義に支配され、自らを迎合されるものへと還元するだけの数理の下で平伏するだけにいたるし、そこで閉鎖的なものにおちいるだけの意志とは、自らの力で位置を判断できずに、そこで用いられる位置に意志を磔にし、自らを神として崇めるためのはじめての犠牲として供えられる自らを羨望するほどに、自らとは懸け離れていき、ナルシシズムにおちいり、今に現れる苦しみを複製するだけの同情を生み出し、そこでまき散らしたウイルスが数千年にもおよび、人類を苦しめている。自らの永遠性に帰るべく、否定的な夜を越え、ここで互換されるもののほとんどは不潔なものでもあるし、不正を重ねただけの事実を重ね、あたかも自らこそが、正しいのだ、と語られることを答えとして崇めることだけが、ここでの永遠性を保つのだ、という答えから逃れるために、人間を救うための人間が産まれ、人間が、人間を救うべく、人間は、人間を飛び越えるべきなの、だ。