昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

高次


 誰にも届かぬところで反響するものが、融合し、死の断続から逃れ、生命を呼び起こすような叫び声から、産後からあふれる哲学的な抗争から、混沌としていく意識に散漫な動機がちらばり、制限を巻き起こす宇宙から抜け出し、ただよう意識は、この夜での真理を引き裂き、神を持つ前のプリミティブな衝動だけが、ここでの本性を呼び覚まし、本能が引き起こすものだけが、物語に何らかの影響を与え、授かるものなどは、ここで論難をあびせるだけだし、本音と建て前などを謳うだけの建設的な妄想から、獰猛な意識は、何かに飼い慣らされるのは、飽き飽きだ、と制度を持たず、ここで与えられる制限などは、ここでの苦しみを膨脹させるだけにいたり、何かにひたることで逃避することだけが、ここでの本質を知るのだ、と妥当な位置は、意味をたゆませ、ここでの行動を鈍磨なものに変え、貪婪な者に陥るべきであり、誰もが、同じもののために突き進むべきだ、と洗脳されたペシミストどもの嗚咽が氾濫する同化するだけの日々などは瞬時に捨て去るべきであるし、ここで生きているものは、何かに生かされているのだ、という言葉のまやかしが引き出すロジックなどは、何かと同調し、強調し続ける先で待ちわびる死へと加速し、動機をそこない、そこでさまようべきだ、と位置づけられた意味などが引き出す答えなどを引き裂くべく、この人間と名付けられたものは、定理の中で制限を用い、自らを苦しむための制度を生み出すことに長けているのだ、と惰性に騙られるものが、延々と引き伸ばされ、悲観すべきである、と宣言されたが最後、そこで法に加工された原理などに誇張された未来を誰もが占うべきだ、とうるさくつきまとうような主義などは、何かを信仰し続ける先に生まれる枢要な価値を保つための崇拝へといざない、途端に凍り付く一帯は、一体感などを求め、退屈なものをそこに取り込み、何かを撮り続けることだけが、自らの使命である、というような自慢を繰り返し肥満化し、怠慢な者に陥るほどに、愚行には気付かずに、愚弄することだけには長けた卑屈なものがうながすものに左右され、ここで作用するものなどは、哲学を待たず、何かの先を取り込むことだけが、自らを強調し、共闘すべきだ、と惰性な意味を引き出すだけのものを信仰する者に指図されるよろこびに取り込まれることだけが、うまくいくのだ、と悟るような間を打ち砕くような鉄槌が必要であり、悲観し続けるほどにシステムが誇張する理由に刷新されていくものが、アップデートされ続け、同じ意識へと引きずられるべきだ、と卑近な者が宣伝するものに引きずられる、その身が滅びても尚、何かを恨むことだけに専念するような主義が理想を供給するほどに、理想とは懸け離れ、自らを苦しめ続けるだけにいたるような兌換が繰り返され、重なる痛みは、意味がなんたるかを知らずに、何かを感じているかのようなフリをすることだけに長け、体感するほどに、ここでの完全性とは、脆弱なものを生み出し、そこでこじれた意識は、何かを批判しいい気になっているだけでは、何かを超越することはできずに、その何かにすら気付かぬままに退廃的な呪詛を並べ、何かを羨むだけでは、うやまうことを知らずに、うまい話に乗っかり、能動性をそこない、受動的に受け取る依存的な人間が徘徊する既製品やコピー品であふれた街並みに同化することだけが、自らを守るのだ、という意識こそが、自己を摩耗させ、卑屈な者へと変化していき、そこから逸脱しないように、同じようなものを愛することだけが、ここでの価値であると宣言される間に愛は何かを変えるものではなくなり、愛とは飼われ、買われるものに変化するのだ、と信用や清廉潔白を謳う者ほど、内心では残酷さを孕んで、懶惰な自己を蔑みながら、自らに向けられる憎悪を、誰彼かまわず共用すべきだ、と同情を謳うような信仰の間で欠乏していく意識は、便宜的なものをモチーフに、理論的な排除を繰り返し、廃絶されるべきなのは、既存のものであるのにも関わらず、既得権を保つためだけに、犠牲を問わないのだ、とうながすような強権こそが、ここでの理由を傷つけ、問題提起されるものも、確かさを生み出すのではなく、自らの足かせを外すべく、自己弁護を続けるだけであり、貧寒な価値をカタストロフに追いやるような棘を持たずに、何が花か、と嘆く君に作用するものも、誰かが用いた苦しみを今に引き出し、意味のない闘争へとおちいるだけにいたるのであるし、ここで問題とされるものなどは、誰かが率いた価値が卑近なものを用い、何かに利用されることだけが、ここでの価値にいたるのだ、と積み上げられた歴史を否定しているようでは、何者でもない、と疎外させることだけに長けるような意識的な排除から、情報操作されていくことのほうが、楽なのだ、とうながすような政治性が、仮想的なものに支配され、誰かに敵意を向け、無実の罪を自らに着せ、何かを恨むことだけが、自らの罪を洗い流すなどとうながすような思想の中で、創造性すらも失われ、構造的なものが堅持する事実から離れられずに、同じような理由の中で苦しむ現在から抜け出すような高尚へと進み、ここで判明するものなどは、何かを認識しているわけでもなく、何かをへだてるためのウソを実現させるためだけに、ためらわずに破壊することによろこびをおぼえるようなサディストばかりが、群れの頂点で馬鹿みたいに騒ぎ立てているだけ、だ。