昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

夜の帝王学


 窓から吹き抜ける夜風が平静を伝える。静寂を語る夜は、何事もなく、何も求める必要性すらなく、そこにあるものだけに混在し、存在感をたずさえ、何かを伝えるものすらなく、邪魔すら入らぬような忘我の先に見つけるものすら、無駄なものに思い、応じるだけの答えをたどる寂寞をたどり、もどる席すらなく、与えられたものなどは、文明が作り出したエゴだとすら思わずに、ただ感じるままに消費する影が寄り添い、答えすら用いずに、誇示することすらなく、淡々と過ぎ去る夜に答えなどは不潔なものであるし、ここで訣別するものなどは、その場での出会いと別れを繰り返し、空疎なものを引き出しては、引き合いに出されるものに悲観する必要すらなく、ここにからまる実情は、ただ単に空回りながら日々を食しては、何事もなかったかのように示す現れに哀れみなどをかける必要もなく、有するものなどは所詮は何かを強請るための道具であるし、そこに用いられるものなどは、権利を主張に求め続ける限りに絶えない欲望に支配されているだけに満たないし、ここで満たされても尚、欲しがるのが、人間と名付けられたものが消費するだけの事柄に征服される複製品どもがカタルシスを求め、何かに依存する先に損害などを謳い、短絡的な衝動から、ここに用いられる因子や、躍動感を失い、簡易なもので消費する先に生まれるものにまた支配されることを繰り返すことが、正しいことのように示され、そこでこじれるほどに、誇示する意思は、陰鬱なものの犬として、或いは、自ら仕掛けた罠にはまり、自らを悲劇のヒロインへと仮想する先に生まれる現実などは、現実である事すら忘れ、そこでこしらえられる生贄として生きることだけが、犠牲的な昇華を施し、そこに現れた罪を洗い流すかのように示すような法の中で荷担し続ける義務などが、空疎なものを生み出し、何かを踏み台にし、何かをコントロールすることだけが使命感のように思えとうながすような先に画期的なものすら従順な機械による支配に寄りかかるだけの意味に欠乏していく意識的な疎外感が機械的な伴侶を求め、神をこしらえ、そこで犠牲になるための者を創造し続ける先に欠落していく意識の先々で懸隔を生み出し、孤独感は膨脹し、瞬く間の孤独にすら耐えられぬような者が画面の中で塞ぎ込み、現実に返事すら返さずに、些細な動機に支配されるよりも、この画面の前に現れる結末だけが、現実から逃避させる大切なツールである、と互換していく忌忌しい欠如から、主体性とは、支配されることにより、自らの欠落を埋めるための虚偽を孕み、自らを正当化するために何かを批判するだけにいたるような現在に響くアイロニーだけが、隘路を拡張し、網膜に浸透するイデオロギーや、隠逸し続ける先に生まれる敵愾心に支配される以前に、ただサイコパスなだけに、なだれ込む意識の確変から、覚醒し続ける先にシステムの奴隷として、死するまで資産的な思案に左右されるだけの結末の内外で屈折していくあいまいなマインドが、傲慢なものをたずさえ、何かに指図することに生まれるよろこびだけが、生きていることを示す値に変化し、それに相対していく意識は、絶え間ない苦しみを自らに引き出し、悲観していくほどに、自らとは乖離した意識の中で不安を攪拌させ、そこで確証されるものなどは、何かが示したものに過ぎず、そこで信じているものなどは、死んだものが引き出した悪意であるし、やがて、敗残していくだけの生命が適性を求め、敵愾心を膨脹させ、憎い敵を作り出すほどにルサンチマンは暴走し、やがて攪乱するための抵抗を続け、短絡的な破壊から、バンダリズムにいたり、テロリズムへと移行していく先に憤懣は重なり、化合された品位から、病的なまでの信心から、錯綜していく意識が短絡的な愛を求め、放置された先で待ち受ける悲しみに引き裂かれたままにバラバラになる心身を傍観する乖離した自己を想定し、悪魔的な邪推から、散漫な意識が限界を用い、朦朧としながら、しなびた意識は、支払うための義務にひた走り、疲憊したままで機械的な夢を構築する羊たちの群れに投下される爆弾や、言葉を迎撃し続ける先に構築される意味との闘争から、投影されるものへと逃走から、当然とされるものに反してこそ、関するものとの別れを加速させ、自らに帰り着く間に戒律なども不必要であるし、そこに用いられるものなどは不潔なものであるし、出来合のものを信じ込まされるだけでは、真実の愛を謳うだけのふさぎ込んだ独裁者にいたるだけであるし、そこで用いられた自由へと同じ意識で走るほどに、自らとはそこなわれ、そこに与えられた影響だけが、自らを保ち、守るものだという幻想に気付くべきであるのに、築かれた混沌の塔の王どもが嘔気をいざない、名指しで批判される間に共立していく同調から、同族嫌悪にひた走るだけの内部での闘争から、そこで統合されるために自らをも憎むべきだ、と敵意剥き出しの自己との闘争を続ける先に待ち受けるのは、自らをも破壊し、用いられるものだけに操作された便利な者として崇める者のためにはたらきを加えるほどに、果たすための義務が迫り、狭い世界の中でまかりとおる価値に統制されることだけが、よろこびのように感じるような短絡的な機械で終わり、気配すらも感じられずに、何かに流されることが楽なのだ、とうながすような者どもの至福のために、自らを摩耗する。