昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

星と星の間隔


 この場から乖離し、理解すらも求めぬ場所で瞬く間にひろがり、絶え間ない接続が連なり、鮮明なものすらおののく隙間で苦悩を表し、主観にあてがわれる意味や、そこで立証されるほどに、魯鈍なものになりかわり、見る夢も不潔に変わるような世界性に感応するほどに、感性とは腐るのであり、その場でくたびれ、与えられた問題に証拠を残すほどに、この生命に循環すべき意味も、純化されずに、些細なことで朽ち果て、抵抗力を失い、望まぬ望みをおぼろげな中空や、子宮の中で課せられた義務で加速するほどに、自らとの懸隔が生まれ、倦厭にいたり、いたわれぬ呪いを今に重ね、自らに欺瞞を放ち、不満を垂れながら、誰にも行き着かぬ思いは、調教済みの理論の中で束縛され、即席の自由を求め、理由の中で沈む。物事の襞につつまれ、出来事は調和できずに、自らを抑圧する圧迫感にふるえ、得たものを自慢げに披露するだけの儀式で低劣なものを吐き出すだけの疑似的な殺戮や、散漫な儀式が仲介する間で屈従するだけにいたらせられる精神とは、自らの自由を求めずに、与えられた自由の中で自由を求めるほどに不自由になり、担う意味も、その場で重荷に変わり、負担を背負い続けるほどに、すり減る精神は、栄進できずに、今の形に収まり、自らの重みに耐えかねずに、圧壊する。カタルシスを追い求める獣たちが夜に獣性をなびかせ、走るリビドーは、何かを堅持し、何かを維持するために何かを保有し、独占欲のためにためらわずに、誰かを自らの意思だけでしたがえるための闘争が続き、つたない意識は、自らが用いる苦しみを昇華するための通過儀礼を与え、退廃的な理論が早熟なものを殺める夜は、本質的なものをそこない、そこかしこで仮死化していく意識は、誰かに呼び覚まされることを待ち、自らの孤独を抱きかかえ、悲しみに暮れることしかできない。そこで戒律を生み出す孤独は、散々な現状を呪うことでしか、自らを強調できずに、そこで切れ切れになる意識は、自らの存在の軽薄さに耐えかねずに、自らを抹消するための呪文を唱える夜に生み出すべき真理を与えるよりも、そこで用いられる独裁的な主観を打ち破り、自らに帰り着くことを知り、熾烈な時ほど、その時折にひずみ、折り返す物事の浅薄なものに気付くべきであるし、簡単に処理される言葉などは、そこに残るだけで、何の影響も与えぬし、そこで用いられた簡易な言葉などは、今から逃避するためだけの誰かの理想を自らに組み込み、そこで対立すべき自己と出会わずに、ただ与えられた言葉で、何かを得たふりをするだけに終える。誰かが、「大丈夫だよ」と抱きしめてくれるわけでもない夜は、自らを抱きしめ、「君なら大丈夫」と自らなぐさめるべきであり、そこでかかえた苦しみなどは、今を越えるための使命や儀式に習うよりも、何かに寄り添い、したがわせるためのあいまいな答えを飛び越えるべく、自らを自らでなぐさめてでも、その瞬間を超越すべきであるし、やがて滑落する意識は、死をしたがえ、対価を求めるだけの権力を用い、統合するための等差を生み出し、あらゆる原理の中で便利な役割であるための犠牲を謳いながら、君を束縛するであろうし、やがて勝ち負けなどは、そこで善悪を用い、何かを生贄にし、そこで誰かの不満を昇華するための快楽的な処刑のための犠牲として崇められるだけに終えるような世界などは、世界と名付けられただけに良い気になっているだけに過ぎず、そこでもたらされる災厄などは、誰かが与える影響だけに左右されているだけに満たない苦しみを今に授け、確かなものにすら足枷を嵌め、自らの世界性からはみ出す者は、すぐさま処刑にするような独裁的な手法でもって、ここでもつれる者すべてを獣性が用いる論理だけで、理想を追求するという純粋なまやかしによって、何かを快楽のために破壊し、何かを傀儡にするためにためらわずに処刑するだけにいたるような快楽の中でしか、自らを正しく認識できぬような正常さを謳うだけにいたらせるような正しさだけが、正しいものとして崇められ、それを神と名付け、崇拝し続ける先に腐敗していくだけの権力は、権威を用い、権利を謳い、何かをさまたげ、お涙頂戴で騙しながら、長らくに迫る自らの黒々としたものを主体に組み込みながら、理想を追求するほどに、すべてを苦しめ続けるだけの意志は、今を衰退化させ、犠牲を生み出すほどに、自らの快楽度は増し、複製され続けるだけの怒りを増長させ、憎悪を用い、敵愾心を加速させ、疑心暗鬼におちいるほどに、生じる怒りは加速する。正解すらもないから、と育むことをやめてしまった者たちは、自らの立場を悪用しながら、しなびた意識に連なる有史から続く貪婪なものに加勢ながら、自らこそが正しいとうながすほどに、正しさとは奪われ、自らの苦しみに自らが悶え苦しんでることにすら気付かずに消滅する。