昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

光景


 意志は高気圧に覆われ、そこにとどまらずに中空に果て行く記憶を抹消しながら、そのまま空間に隔てられず、何かを堅持しないで、用いられる闇に消費されるだけの顛末を仰ぐよりも、ここで、偶像崇拝を続け、退廃的な祈りを続けるよりも、よりよいものへと導くべき自分に出会うための闘争を続け、何かに統制される以前に、ここで何かに固執するよりも、劇的な進路を渡り、カタルシスにいたるかぎりに、懐疑的に陰るだけの本質や、そこで従属するほどに、充実感などを安易に生み出すだけの平静などを越えて、ここで混沌としながら、脳内を循環する歴史や、そこで鎮座するほどに知性などはそこなわれ、そこでなぞられるだけの史跡や、聖戦などを謳い、何かのために何かを守るための闘争が、さらなる悲劇を生み出し続けるような闇から、やましい思いが、際限無い苦しみを降誕させ、こじれる後先に引き伸ばされる思いが、恨み辛みをうながし、そこでせき止められるだけの理由や自由などが交錯し、自らの理由とは、誰かの不自由と従属し、そこで求められる所有とは、独占欲にいたることだけが、何かを所有することである、とうながし、用いられる欲はとめどない怒りを放ちながら、何かを奪うための統合を続け、合わさる限りに用いられる悲劇は、過去から意味を受け取り、経過する物事の対称性を失い、フラクタルなものとしてみちびかれるほどに、互いを引き裂くためのルサンチマンは生まれ、互いを破壊し尽くしても尚、破壊すべき対象を求め、破壊の限りを尽くす。取り繕うだけの意味が独善的に帰巣し、起源を用いるだけの理由などが、論難や、貪婪なものを即席に生み出し、そこでたゆむだけにいたるような緩慢な作用から、リビドーは、形容されるだけのものを現実として捉える女性的な目から、不自然に離反し続ける自然的な対立から、大義を用いずに、流れのままにうながされるだけのレジスタンスは、自らの暴力性に統合されるためだけの団結から、ただ、快楽的な暴力にひたるだけの攻撃だけが、純粋なモチベーションを保ち、暴力だけに浸るほどに、革命の意味とは、失われる。ただ、用いられる意志とは、徒に消費され、感覚を奪う。保たれるべき均衡を持ち出し、平等を謳うほどに、平等からはほど遠く、そこで補足されるものに強要されるだけにいたらせるような権力に荷担することだけが、自らを自由に変えるように仕向ける間にアイロニカルな闘争は続き、そこで悲劇をもたらすだけの戦争から、専横され、全体主義の衆愚としての役目を終え、役割に配される少々の快楽へと擬態化していく意識は、短絡的なものに消耗された過ちに気付かずに、記号化し、暗号化した自らを解読できずに、乖離し続ける夜の闇をさまよい、うやむやなものを愛しているかのように思わせるだけの事実に色あせ、斡旋され続ける精神は、気配を攪拌させ、自らの影に入り交じる不潔なものを排除するためのレイシズムが生まれるだけのナショナリズムを加工し、簡単に消費されることに置かれる自らを傍観するための保身から、保守的な交合を続け、変質し続ける神体を崇めるだけの理想主義的な祈りから、過激な思想を用い、履歴を抹消し、新たに生きるべきだ、と問われる是非とは、善悪を用いずに、ただ自らを絶対としながら、何かを崇めるという過ちに気付かずに、破壊し続けるような安易な結末から、天体をも破壊するような声を荒げる私は、体制に反するよりも、ここで反するものすべてに反し、ここでわずらわしく示唆を続けるよりも、高尚へといたるべく、用いられる善意の裏の裏を綴るようなアイロニカルに冷めた感性は、緩和しきれずに、そこで降りしきる意味に濡れ、混同し続ける先々で原理的なものをモチーフに理想を供給するなどとうながすような毒々しい物陰で硬質な意味にゆとりをもたらし、そこで足りないものに清潔を求めても、ここで淡々と綴り続けるものが、継続される限りに高揚感をもたらすだけの安易な祈りよりも、動作に不潔なものを縫い合わせ、そこで終わらぬように継続させるものだけが、私を進める。束縛されるだけの個人的な自由なども謳わずに、のんきに閉鎖的な日常に笑顔を振りまくようなトリックスターであるべく、システムに恫喝を続けるだけの孤独な狼のようなフレッシュな怒りを用い、自らの落ち度を隠すことなく、ここで固執するほどに、漏洩していく言葉が物陰を生み出し、すべてを淡く変化させ、ここで思うことなどは、広益を謳うよりも、ここで公正を用いるよりも、そこで自由をかかげるよりも、何かを用い、求めることにより、自らを動きやすくすることが、動きにくさを生むことを知るべきである。