昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

ビターな記憶


 浪費され続ける身体は、自らのサイクルを汚し、他者を介し、何かを共有するほどに分裂し、分離し続ける先にシステマチックなものが一貫した主体を形成すべきだ、と似たようなものを愛するべきだ、と騙すように木霊し、思想を気だるいものに変え、そこにおとずれる政治性からずれていくほどに補填される悲しみが、空疎なモンスターを生み出し、信仰心などを煽るような捏造された神がやかましく主体を汚すほどに、主体性とは、体制の獲物として、同一化するための人形として扱われるのです、とうながすような否定的でアイロニカルな犬どもが、自らを慰撫する辺りから、快楽を配するだけの闇を吸い取るだけの君の性愛にもとづくセオリーや、制限を持たぬ精神は、何かに依存するために、何かを破壊するような矛盾を孕ませ、はびこる悪意を捏造し続ける正義をふりかざし、不感症な君のこころに配備される恐れや愚かさに気付かずに、何かを破壊することで昇華されているように勘違いするほどに、すべては不潔に見え、そこでまさぐられる感情は、偶像を愛し、偶然に引き取られ、卑近なものに変えられるほどに、掛け替えの無いものは、ここで賭け事の対象にされるだけにいたる。涙腺がほどけ、高揚感にいざなうような美麗に瞬間にこじれる言葉や、攻撃的な姿勢で、陰鬱な証拠を残すだけのシリアスさに砕けた差異から、神聖なものを持ち出し、誤りを正すべきだ、と強制的な行使から、抑止され続ける精神は、自らを破壊するために、自らの攻撃性を外に向け、自らを示す世界全体を業火に変えるべく、自らに対する憎悪を、世界全体に向け、未熟で幼稚な観念は、何かを破壊することだけが、何かを綺麗にするための画期的な行動である、と勝手気ままに配される自らの欠如を埋めるために何かが血を流すことが代償であり、何かのために、何かは、何かであることをやめるべきである、と途端に独善的な支配から、死を操り奉る独裁者として、自らの大義のために晴らすべきベクトルは、死をも凌駕するような死であり、自らの死から逃れるために生み出される軽快な破壊だけが、自らのニヒリズムを生み、自らを破壊するために周囲をすべて破壊し尽くした後に残る自らを保つためだけの欺瞞を続け、満足も得られずに、そこで焼け野原に変わった地平をながめ、平静を取り戻すこともできずに、すべてを燃やし尽くすための行為を持続させるような悪を生み出すのは、絶対的であり続けるだけの正義であり、そこで犠牲をうながすだけの世界である。継続されたばかりに、罪を背負って、いい気になり、何かを担うつもりで、何かを破壊するためのコードを生み出すだけのでたらめなあやまちに則り、自らを裁き続けるために短絡的な戦争を続けるような専横から、専制的な支配を続け、芝居じみた、毎日を同じように繰り返し、空疎な自分を卑下しながら、貧寒な今にぬくもりを与えるような愛を縫い付けながら、報われるために、巣くわれ続ける脳内から豊かなものすら形成できずに、デカダンな者として、何かを引っ掻きながら、悲惨な現状を憂うようなバカンスに出かけるだけの馬鹿どもの至福こそ空疎などと否定するよりも、そこで報われることなどを考えるよりも、ここで深まるものの奥底まで浸透する意味を測る前に、蕩尽し続ける先々で対立を深めるだけの同調やら、同族嫌悪から、緩慢な作用が生み出すほころびや、そこで滅ぶものや、そこで物語に断続する単調な日々がおちいるジレンマや、時代性の悪夢や、うごめく思念を流用するだけの欲望のシステムや、進行する意志が見つけ出した思想こそが混濁を生み出し物事を困難に変えるやらが、まさぐるだけの理想から、理性は、姿勢を失い、枢要なものを介し、自らを正当化するための儀式へと加工された精神は、自らを基調にしないで、自らをないがしろにし、そこで引き裂かれた精神は、契約のためだけに何かと同調し、融合するために葬られるような宴に自らを生贄として提示し、浸食していく心ない何かが、内面的な自傷を繰り返し、事象を汚すのだ、と緩慢な意味を用いるだけの精神分析などが用いる聖戦などが、今を邪険にし、賢者を謳いながら、献上される物ほしさに何かを騙すような仕組みから、真相は闇で屠られ、何度も拷問され、自らを引き裂く音や、心象にたずさえた風景もずたずたにされ、過去を引きずるほどに、ここで補足される定理などが、倫理観などを用い、安易な消費だけが加速していく。臆するほどにカタストロフへとみちびかれる道楽から、どうでも良い、とうながすほどに、どうにかなるものすら、かなわぬのだ、とうながすような独善的な支配を形成するためのセンテンスから、譫妄にいたらせるだけの盲信から、朦朧とし続ける先に思念は、何かを媒体し、自らを罰当たりなものとしてうながし、自らをそこなわすための何かを捏造し続ける。