昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

軽薄な秋


 気軽に何かを踏みつけ、こなごなにするような悪意が迫る。何かを壊すことにより、不愉快さを昇華させるような断続的な悪意から、蔑むだけの帰路に打ち出される真実などをごまかすだけの完全性を謳う鬱々とした真実どもが、事実をうやむやにしながら、自らの正当性を叫んでいる。履歴を抹消するだけの日々から、鼻腔をくすぐる事実が、空疎なものを用い、物事に転化し、転換されるだけの思いに加速していくリベラルなカオスから、隷属化するほどに、奴隷と化すのだ、とカスタムされたドレスを着込んで、記憶の奥底で、あくせくとしがらむ季節に透過されるべき物事も、簡単に処理され、今に悲劇を生み出し、惰性な者が示す差異から、ほころびを生み出し、滅びへと近付くだけの逃避や、統合されるほどに、正常さとはほど遠く、そこで諭されるだけの真実は、時間に追い抜かれ、自らの過去のものへと変えるだけにいたらぬ思いは奔走し続け、自らから懸け離れ、はばかり続ける先に罵声を浴びせ、そこで抵抗する者や、迎合するだけに浸る意味に偏りながら、掛け違えたものは、二度と戻ることもなく、そこで崇められ続ける真実は、雑踏の中を這い回り、猥雑なものをかかげ、独占されるだけの欲の中で葛藤を続け、つたない思いは、空虚さをかかえ、自らをペシミストに仕立て上げていき、逸脱することもできずに、いくばくかの可能性を秘めた今に幻覚を見せつけるだけの安易な衝動から、同意し続ける先々で対立を続け、契約される限りに約束の中で果たされる義務や、空席を埋めるだけの運命論者がそつないものにもたれかかり、諧謔の最中で思い描くおかしみよりも、滔滔とあらわれる物事が発信する流れに否定的なものをぶつけ、そこで思い続けることが、思い違いであることをうながすほどに、否定的な自分との対立を深めながら、深まる溝を埋めることもできずに、言葉の影で攪拌され続ける自己が隠滅し、インモラルなものを重ね、懐疑的な日常からエクソダスすべく、すべては、保たれる均衡を捕食するための欲望を加速させ、解析されるだけの真実や、そこでアップデートされるだけの事実に帰巣するほどに、補填される苦しみは、転換していく苦しみの中へと引きずり込まれ、卑近なものに変わり、何かになりかわりながら、退嬰的なものにおちいり、体系的なものに貧するだけの物質的な猶予から、何かの余裕を謳うほどに、自らが狭めるだけの境界の中で裁きを下すほどに、自らを神として崇め、自らこそが正義である、という勘違いほど、神からほど遠いものもないし、何かを許すよりも、何かを監視するよりも、何かに無関心であることよりも、そこで自然に調律されるものを素直に愛するということすら思わずに、自然的に愛撫するようなものが、神に近付こうともせずに、そのままであり、神という名称に過ぎぬものを用いる以前に、自らを自らとして認識し続けることだけが、何事をも超えるような感覚で、奸悪な者であろう、と妥当なものを用いずに、自らに素直であることだけが、人間を超えて、神を持たずに、そのままを愛することすら厭わずに、ただ、あるがままに行う者だけが、何事にも左右されずに、そこで用いられる自由を射止めずとも、ここでとむらわれるものにむらがるよりも、ここで愚者として、摂理をひるがえし、自らが生み出す空疎なひとりごとを自らがくらうような残酷さを用いても、率いるものを否定し、ここで貧寒に陥ろうとも、豊かなものを持ち続けるような秀麗さだけが、美しいものを持ち出さずとも、そのままであることのよろこびであるし、やがて、敗残してもなお、ここで用いることに依存するよりも、ここで切り離し、危害を加えられてもなお、持ち続ける純粋さだけが、情念を超えて、人類愛を投げ売りにするような未熟な愛が用いる憎悪を超えて、転化するだけの愛にもとづくエゴに行為は引きずられ、卑近なものに変化してもなお、ここで行うことだけが、自らを強調し、枢要なものへと近づき、短絡的な個人主義が用いる自らの消費を加速させるだけのあいまいなマインドを蹴散らし、懐疑的な日常に嗄声をうながし、奪われるだけの日々に卑屈になるよりも、なれ合うよりも、なじまずに、なまめかしく異様な物質としてさまよう限りに何事にも犯されずに、偏屈であろうとも、成し遂げる以前に、不羈な者として、そこにあるものと融合するよりも、高揚することだけを目的に走り去り続ける今にいじけるよりも、いびつな者として、暴れ回る先に理論すらも捨て、相似するものを恨むよりも、そこで酷使し続けるほどに、自らの奴隷として、殲滅するだけの日々に別れを告げ、実体すらもままならぬままに、補完されるものに反し、やがて滑落し続ける先に現れる巧妙な光に騙されずに、自らを跨ぎ続ける。