昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

解除


 自分の意思だけがたよりだ、と戦列には並ばずに、なれの果てに仕組まれた罠が疎外感を生み出すだけの短絡的な構造から離れ、散漫な意識が悔悟を生み出すよりも、織り込まれる先に生まれる意味だけが、自らを進行させ、さらなる意味を追求する先々で旋回する意識は、惨憺たるものを飛び越え、暗澹に沈み込む幽遠に潜む過程や、そこで補足されるものにそそのかされる安易な欠如や、結実するものに吸い込まれる傲慢な策略から、反体制的な構図を生み出すだけの参加に属するよりも、ここで行いを正すよりも、何かに追従するよりも、高らかに笑うよりもするどく苦悩を突き刺すようなイメージだけが展開し、裁かれるよりも、寂れるよりも、ここで寄りかかるよりも、よりどころを求めるよりも、何かに衰亡し、やがて、枯渇するだけの身体を安易に接続するだけの快楽よりも、より獰猛に、緩衝し、かねあいながら、簡単に処理される物事を瞬時に超越するような軽やかさだけが、賑やかすだけの改造をほどこされた人間性に反し、証拠も残さずに、混沌としたままで、舌足らずな日常を切り裂き、惨状を蹴散らしながら、寛容にほどこすものだけが、物事に軋轢を生まずに、偶像を崇めるよりも、あいまいな日々に感触すらもそこないながら、追憶に貧するだけの虚像や虚栄を愛するよりも、最たる意味を奏でるような虚偽にいざなわれるだけの日々に卑屈になるだけの連立から、連動する意識は、懸け離れたものを愛しているかのように示す尺度から、そこでうながし、即すものだけが、コードに変わり、関わるほどに、この感性とは汚れるのだ、と惰性に導かれる高次などは、高次に至らずに、高次に浸るだけであり、そこで悲観するだけに終わるような思想などは、思考しているのではなく、思考させられているだけであり、そこで出来合のものを信じるほどに、信仰心とは増し、慢性的な痛みを蔓延させるだけのペシミズムにおちいり、何かに偏ることだけが、この生活を明るくさせるのだ、と改造をほどこされた者が示す改善策などは、愛がなんたるかを知らずに、その場の思いに左右されることで、何かを刷新させているような理屈をならべ、何かを虜にすることだけが、ここでの快楽を増していくのだ、と野蛮な者がカタルシスをうながすだけの惰性な解決策だけが、簡単なものを生み出し、大抵の異物感を切り離せずに、介する間に生まれる差異や、そこでガイダンスされるものだけが、ひずみを形成し、リズムをそこなうことを知らずに、そこでの行いだけが、正しさに導くのだ、という冷めた膿が旋律を生み出すのだ、とリズム感の無いものがうながす説得から、エクソダスべく、接続され続けるものを切り離し続けるように容易に逃げ惑う軽さを用い、ここでの命とは、永続することを持ち寄りながら、要する間に遊蕩し尽くすだけの悪意を重ね、間隔に生まれる化身や軽視から、軽薄な者をサンプリングし、暗澹としたものを間隔に生み出すだけに至らせるような真理などは、何かを革命にうながし、区間にはびこる悪意を充填させ、正義を形成し、そこに権威を持たせ、牽引し続ける正義などは、悪しか生まずに、そこで思考するこそが悪である、とうながすだけの正義などは堕落していくほどにフラクタルな者を形成し、権利を主張し、権限を用い、何かを裁くことだけが、ここでの正義である、と段階も踏まずに、愛がなんであるかを知らずに、何かを裁くことに権利を置くことの誤りを知らずに、過ちを重ねているのだ、と罪を用い、罪をモチーフに、そこで用いられる罰を皆で共有するのだ、と強要する間に生まれる強迫観念にさいなまれるだけの者どもの卑屈が恫喝し続ける原理などが理解を求めるほどに、求めることの過ちのあいまいさに気付かずに、起動した途端に、自らを機械的に理解するだけの順応から、そこでの誤りを正すこともできずに、出来合のものを信じ込む間に信心は強化され、そこで強固になる思いは、何かを信じることだけが、自らの存在理由を確かなものに変えるのだ、という過ちの足枷を外すべく、ベクトルは、怒りや悲しみにより得るのではなく、そこでの力とは、限りあるものを利用し、死の恐怖という無限性を利用し、自らの領土を奪うために精神をクラッシュさせ、そこで膠着し続ける意識は、限界を用い、自らを動けなくさせ、そこで成否を謳うほどに、善悪とは、対象を見失い、何かを破壊するための対象を見つけ、自らの苦しみを昇華させるための嫉視や憎悪から、転化していく悪とは、作られ、操作させるための悪であり、そこで悪として認識しているものなどは、悪として認識する以前に、悪を利用するためだけに埋め込まれた悪であり、その悪を悪として認識する悪意に気付かず限り、何かにうながされるままの機械として、自らのジレンマを加速させ、不満足を謳いながら、何かを求めることだけに長けた人間として、独善的に自らを収納するだけの白痴として、理論を飛び越えずに、理論の中で耽溺するだけの依存的な理解者として、軽々しい思いを従えるだけの隷属するだけの物質として利用し、利用されることだけを目的とした社会を利用して、今を踏みにじるだけの独裁的な者として生み出されたシステムなどは、何かを利用し、利用されるためだけに生まれた仕組みであり、そこで仕組まれたものにうながされるままでは、その中での構造でしか機能しない者として過去を引きずり、卑屈な悪意を引き取りながら、あたかも普遍的で綺麗な者のように生きることなどは、生きているなどとは言えず、生かされているなどといううわべだけの言葉では処理しきれぬような憎悪だけが、今に氾濫している。