昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

狂騒に猛る思い


 言葉を持たぬ君は、あらゆる論理を呪いながら、能動的に発芽する思いや、結われる症状の彼方で、自動記述的な夢を見て、冷めた現実を射貫くような観念論的な被害者を演じ、連立するだけにゆだねる記憶の奥底で浸透する由縁や、不思議な何かが内面性に断続し、苛烈なものを解き放つ間にアイロニカルなものをほどこし、情報に保護されるほどに、幼稚なものに支配され、物々しい連中がしいたげるだけの恋の行方や、カンバスに描いた時代性の性欲や、行方知れずの思いが空間を汚し、怪訝なものを生み出し、ガイダンスにしたがい、階段をのぼるだけの者たちの卑屈や、悲観的な緩衝を終え、誰かに依存するだけの恋人たちのダンスや、ちぐはぐな世紀をこき下ろし、籠城するだけの意識は、感覚を麻痺させ、ここでまどろむだけの記憶は、何かを背負うための義務に超過する意識の中で、閉鎖的な由縁を掘り下げることだけに締結し、こころない何かが時代的な猶予を用い、知性を持たずに、ただ考えるほどに組み込まれるだけの意識が儀式的なものにおののき、高ずる者が示す尺度から、前衛的な何かを隠滅させるだけのモラルを実動させ、敢行されるだけの意識は、そこで応じるだけの答えに閉鎖的なものをモチーフに誰をとがめ、そこで締め上げることだけに専念し、捻出されるだけのアンバランスな日常は、知性を持たずに、ただ現れるものを愛しているかのように示すような尺度の中でしか、何かを測ることもできずに、そこで用いられる原理は、理解を産み出せずに、惰性にみちびかれるだけの思いは、横暴なものに組み込まれ、意思を朽ち果てさせるためだけに、何かを崇めたてまつる間に血祭りに上げられるだけの清貧な影にこしかけ、悠遠にほどこされる仰仰しいものが問答を続け、そこで追加され、通過するだけのものが、惰性にみちびく苦しみを産み落とし、運動的な行為にまとわりつく静謐な余韻から、因果律を超え、時間から放たれた、君の精悍な開眼から、原生とは、そこで生まれたままの無垢さをもたらすために生まれたのではなく、そこで何かを貪欲にむさぼり、貪婪な者として畜生道を歩くのだ、と代価を求めるような観点に疎外されたルサンチマンどもの亡霊が右往左往し、横溢する瞬間に充満する意識的な契合や、そこで迎合されるものだけを崇めるためだけにもたらされる価値だけが、持つ事への満足をうながし、代償を求め、解消されない欲と永久に沈み込むしじまから現れるじんましんや、常套句をうながし、手段をえらばずに、鋭利なもので突き刺されるような感覚だけが、無限に続くのだ、と償いを求めるだけのペシミストは、矛盾したままに錯乱し、探しているものすら見つからないのだ、と求めるほどに、すべては、ほどこされるものよりもほど遠く感じ、そこで現れたころには、何かに連関し、還元されることだけを目的に、求められるものとは、そこでコアを失い、喪失感にゆらぐための情念が求めるほどに、求めるという行為に依存し、損得を扇ぐためだけに保たれる均衡にもたらされるものだけが、ここで惰性になびき、内面性を精読し続けるだけの影の彼らは、彼方から引き取る貴女との結ぼれにそそがれる潤滑油を求め、巡礼するのだ、と後に引き裂かれるだけの情景は、そこでの過去を引きずる限りに永遠性を用い、求められるものとの軋轢や間隔をひろげ、緩慢に作用する意識的な儀式から、改善されない痛みをまどろみへと引き込むだけの卑近な価値から、感覚は疎外され、あらゆるさまたげに敵意を持ち、もたらされるものに反するための破壊へと引き取られる思いは、貧寒なものをかかえこみ、求めるための満足に引き込まれる悲観的な立像から、理性を絡め取るための議論から、犠牲的な翅をひろげ、疲憊した神話の中を泳ぐ君の僥倖がきらめき、果たされるための義務から、ここでぎこちなく心象を奪うような無数の鳥たちにリンクする陰気な結合をほどこすような洗礼を超えて、自らを信じる先に現れる神は、自らを信じているのであり、そこで持たされるだけの神などは、神と名付けられたまがい物であり、そこで疑似的に愛しているようなフリをしているような倫理観を担うためだけに、似合わないものを着込み、あたかも成熟した者であるかのように振る舞う者の表を書き換えるのだ、とニーチェがうながす深夜に姑息なものなど存在せず、そこに現れるものは、あらがうための正義をかかげずに、何かを持たされることだけに満足し、何かに浸るほどに、そこでの空しさを押し広げるための満足を謳うだけの媒体から放たれ、はびこる悪意とは、自らの愚鈍さが生み出すものであり、何かを恨むほどに、自らをルサンチマンに変貌させることだけに宣言するような者どもの卑屈さに陰るだけの本質などは、真実味をそこない、あたかもそこにそなわるものだけが、真実を語るかのように仕向けるような正しさを飛び越えるような夜に、善悪すらも無い。