昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

物陰


 存在することに理由などいらず、語り出すものなどは、今を騙し、踏み荒すだけに至るものだし、そこで経緯を持ち出し、意味を束縛させるほどに苦悩は増し、自らの苦しみを敷衍させ、一貫した苦しみを孕んでは、懶惰な自分を恨み出すようなシステムのサイクルから、猜疑心を生み出し、徒に消費される観念は、用いられる概念に打ち勝てずに、悩ましい自分に惚れ惚れしながら、苦い月日にねじ曲がる感覚が、悪を生み出し、ニヒリズムへ、と誘う過程から経過していく思いは、今にも踏みにじられ、自らの悲しみを反芻するという反省から逃れられずに、今にも意思とは朽ち果てる。物陰に潜むひっそりとした瞬間に潜む抑揚から揺動されるための真理を生み出す機械的な論調から離れるために、抵抗を加え、生きることに理由を用いるほどに、「存在とは、そのはしたなさに耐えかねずに、体系化するものへと飲み込まれ、垂涎する者として、物事の本質をあたかも知っているかのように吐き出すだけのアカデミックなミミックを演じる」という段階に潜むガイダンスから悲壮することによりすれ違う意識は、悲恋に緩衝しては、均等な意味を捕食するための啜るだけの者として、秩序を保つために何かを拘束するよろこびに耽るために連立する粛清を繰り返しては、定期的な苦しみを吐き出すことに飽き足らず、ただあいまいな毎日には、地に足がついた愛があるなど、と語るようなコマーシャリズムがうながす普遍的な生活などは、張りぼての幸福論であり、供血されるために、或いは狂気を捏造し、境域を生み出し、排除するために主義を捏造するだけの偏りを生み出すだけの弁証法に浸るほどに悲観的で、一貫した悲しみを律動させるための類似品として、あらゆる緩慢な主意を持ち出し、何かの便宜を図るために募らせる正しさなどの横柄さに耐えかねずに、自らを憎むほどに、誰かをおとしいれるためのルサンチマンとして、ちぐはぐな浪費を繰り返すだけのペシミストとして、創造性の欠片も無く、ただ奪い合うための秩序のためにいっさいの苦しみを破棄させるような軽薄なものを生み出すだけの育みから、蔓延る悪意にとどまるだけの事実は、意味を奔走しては、何かを騙すためだけの秩序を織り成し、正義を騙り、悪を捏造し、自分だけが正しい者であるかのように語ることだけに長ける詭弁から、利便性を求めるだけの世界は、世界としての役目を終え、途端に生死と政治と善悪を用い、今を拘束し、集約されるものに収容し、そこでの正しさを堅持するために、自らを誇示するような闘争から、等差を用い、交錯する真実は、数理の下で敗者として名付けられ、途端に廃される自らを互換するための真実などは、信じさせられるために用いられる正しさに屈従し、正しいことして崇めることだけが、唯一今を正しいものへと変化させるという傲慢から緩慢に作用する意味合いに感化させるような不潔なコードから、空間に攻め入る正義とは、犠牲を孕んだ懶惰なものであるし、そこでランダムに作用し、怠惰なものとして黙する間に遠のく苦悩から空虚さを膨らませ、複製されるだけの真実は、集会の中で回収され、改心させられるための正しさを押しつけられ、抑圧されるほどに増していく攻撃性から、劇的な飛躍を遂げずに、そこで諦めさせるために正しさを捏造し、何かを大切に思うべきだ、と是非を問うような正しさなどに愛などは無く、ただ愛してるが故に傷つけるという美しさに至らずに、何かを修復させるための祝福を謳うような偽善的で独善的な信仰から真理は熱暴走し、自らを終焉へと向かわせるためだけに加速し、能動的な死へと鬱積する悲しみの呪詛を綴るだけのつたない人間として、同じような者を同じように憎むような行動こそが正しいものであるかのように崇められる隙間に配役を与えられ、配膳される餌を同じ量だけ与えられ、決まった量を超える、と増していく罪の意識から、製造されるだけの悪意に捏造される正義の犠牲としてだけ存在すべきだ、とすべては決まったものだけを吐き出すだけの正しさなどを示唆するほどに堕落するものであり、そこでフラクタルな者ほど何かに蓋をし、表面だけを見ては、内面を見ずにすぐさま見捨てるだけに至るような軽薄な世界で形骸化するだけに至るような幼稚なギミックから、律する間に食されるためにもたらされた家畜なのだ、となだめる隙間に統合されるだけの正常さこそが異常である、と宣言し続ける間に生まれる逍遥し続ける恬淡で不羈なままな自己から嫌悪するよりも、同調するよりも、そこで総和を求めるよりも、そこですべてとの融和をめざすよりも、そのままであり続けることを疑うことを辞め、ただ果たすための義務などを捨て、ここで行うすべてがフレッシュに弾け、そこで敷衍するものなどは、演じることを終え、ただ短絡的な構想に浸るよりも、陥落しても尚よろこび開拓するような純真さを呼び覚ます。