すべてに帰結していく過程から逃れ、緩慢に作用する原理的な浪費から、観点にそぐうために後列にならび変えられていくだけの順序に従順であるよりも、そこで反するような美しさだけが示唆するものへと、何かの獲物として滑落していくよりも、鈍感で貪婪であることが、何かを変革するようなことならば、そこで変革されるものなどは、変化を恐れ、何かを遠隔操作するだけに至るような機械的な改定から拷問を課せるだけの問題から、監査を生み出すだけの中庸から、忠誠を誓う者だけには正しくあるのだ、と屈折していく正義などは、そこで制止するための抑圧にたむろする具現化されるだけの英雄から警世を謳うだけの欺瞞の盗賊どもがうろつくから、私は義賊であるべく、革命的な飛躍を遂げるのだ、と偏った悪を正義へと昇華させるための傾倒を示すほどに、偏った正義は、独善的な正しさを持ち寄り、自らを正当化させるための儀式として、何かを生贄にすべく、自らを正しいように差し向けるような間に自らを偉大なもののように見せかけるような罪に浸る現時点に雲隠れしていく形式的な微熱をかかえている混濁した意識は、怜悧な者に手入れを加え、自らの法の中でしか、正しさを発揮できないように仕向けるような時代遅れな当為から逃避していく者を捕獲するための機能を生み出し、奪い合うだけの権利から嫌疑を持たずに、こじれる後先に堅持するものなどは、求められるほどに是正されるものなどは、真実に近づきもせずに、何かを恐れる限りに生まれる恐れから逃げ出すために絶えずダメージを与えるための当て付けのような反証から緩衝できずに、対象を責めるだけのルサンチマンとして、幸福論を謳うだけの快楽主義的なドラムロームに囲われ、禍根に卑劣なものを植え付けるだけの欺瞞を蓄えるだけの普遍的な枠組の中での快楽的な幸福を克服できずに、与えられる幼稚なギミックの歯車として発憤する者だけが、正しい者のように崇められる隙間に現れるのは、独善的な色魔ばかりであるし、あらゆる起源を卑劣にひるがえすために絶えず翻弄するだけの浪費から低劣な論理を引きずるだけの卑近な者として義務的な消費を繰り返す消費的な境域に狂気などを打ち出すだけの計算的な輩が君民として、悲観的なギミックの移民を捏造し、そこで境界線を引くことにより卑近な者として逃れられない者を物のように屠る間から、感覚を損なうためだけに与えられる意思的な汚穢に猛々しく示威するものが史観を乗り越えられずに、与えられる正しさの中で通わせる意味や意思などは、何かに操作され、左右されるだけの思想の中で思考停止におちいり、自らを正しいと差し向けられる間に現れる思想に作用を加えられている間に現れる正しさなどは、正しくも無ければ、正しくあろうとするほどに偏りを生み出し過激なものに鎮座し、知性も無ければ、ただよう形式に保つべき意志などを謳いながら、磔にされ、磔にされる者を捏造しながら、憎悪を増幅させながら、屈折した意思は嗄声をうながし、散漫な儀式に繰り返される苦しみをよろこぶべきだ、とよろこびを謳う信仰的な快楽に改ざんされ続けるよろこびなどは、今に犠牲的に支配され、邪推するだけに至るような人間として成立するための成否を持ち出し、清貧であるよりも、要理に敵う者として毒性を育てるためだけに倒錯する資本的なリフを重ね、ディストーションの重みによってハードコアに支配するような鼓膜の中での駒として偽装されるだけの真実の彼方で簡単に処理される者などが打ち出す本質などは、真実味すらも無く、密接に結びつくほどにさび付くような言葉を用い簡単に作用するものだけを正しいものとして受動的に受け入れる者だけが正しいのだ、という作られた正しさを包括するための法の中でしか生きられぬような動物としていつも蔑められ、辱めされているだけに至るような人間と名付けられた途端に何かに管理され、監視することで、自らを正しく仕向けるようなことが今を苦しめていることにも気付かずに、今に踵を返し、介する間に反発できずに、過去を引きずるだけの卑近な獲物として近似し、相似するだけの同一化をほのめかす弱者として強者を虐めるだけの権利を謳うだけの動物的なクリックから、空疎な自分を破壊できずに、破壊されることを待ちわびるタナトスの犬として、淫靡な結末に位置づけられ、そこに居続けることだけが運命に従順であり、そこでの正しさを損なうよりも、そこでのいびつさを観念に重ね、懐疑的に至るよりも、信じているフリをして、そこで演じる正しさこそが、正しいものであり、そこで姑息に転じて行く意識的な正しさから逸脱できずに、転移していく痛みに掘削され、方方に攻め入られるだけの過程に圧迫され、圧壊するような考えならば、考えなどは捨て去り、すべてに同調すべきである、と騙るような正しさなど、正しくあろうとすればするほどに今に擦り寄り、その「正しさ」を押しつけるための抑圧を続ける。