昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

正義を盾にして執り行われる狩り


 他者から借りた言葉は、表現を失い、苦痛に悶えている。あらゆる普遍性がコード化し、苛烈なものをささやいては、消費されるだけの身体を緩慢に処理し、簡単に描かれるだけの真実に加勢する者だけを頼りに、何かを信心することで、自らの苦痛を和らげるのだ、と惰性にみちびかれる人々は、個性を偽装し、何かに固執することで、硬質さを保つのだ、と退廃的な呪詛を続け、たちまちに現れる立場に寄生することを目的に居場所などを求め騒いでいるし、そこで諦観する者どもが卑屈さを打ち出しては、散漫に参画されるものが儀式化し、短絡的な障害を生み出しては、惨憺たるものを措置し、自らを暗澹たる者へと変化させることが飛躍することなのだ、と妥当にみちびかれる者の流動性などは、何かに流されることだけを目的に生じる由縁に偏向し、反することを知らずに、関するほどに常道を退屈そうに歩き、普遍性に遭難するのだ、と渇する間にひもとくべきアイロニカルな逍遥から十全たるものを損ない、自らを未熟な者として捉えるほどに自らの苦しみに溺れ、くわえ込む時折にひずます理想論的な締約から、形成される時折に理性を損ない、正気を失い、横溢する瞬間に受理されるものや、運命にひざまずき、貧寒な未来を愛することだけが、ここでの正しさをもぎ取り、無気力な連中が示唆する史観や、監査されるだけに至るような徒に処理されるだけの物事におののくよりも、ハードコアに生きるべきだ、とエクソダスすべきだ、と唾棄する理由も、そこで踏みつけられ、つぶされるだけに至るのだ、と権力に逃避するだけの人類のぬるい結末を扇ぐよりも、其処で屠られる前に悶えるよろこびに耽るべく、リリカルに読み解き、統合されるよりも、ここで平静を保つべきだ、と保身に至らせるだけの保守的な理想などは、帰巣べき事実を持たずに、もたらされた意味の中で保つべき理想を超克できずに、あ絶えられた義務の中でしか、意味を読み解けぬような連中が、正しさの表を持ち出し、何かを支配的に示唆する間に起算され、改ざんされるほどに、ここで介在している意味などは、今に忌み嫌われるものに変わるし、やがて溌剌と滑落し、おちいる先に宿る剣呑なものに崩壊させられるだけの精神がいらだちをたくわえ、惑乱するだけに至るような大胆さや、解体されるだけの身体を傍観する家畜たちの憂鬱に支配される気配から、背景は生じる由縁に囲われ、加工されるだけの現在に隊列をつなげるための常用される真実とは依存性を用い、何かを誘導し、虜にするために毒性を含んだ知恵からチルアウトできずに、出来合のものがもたらす真実だけが無秩序に至らずに保たれるための知恵とは、知性を含まずに、ただ答え合わせされるものに蓄積される正しさだけが定位置を生み出し、そこでとどまることだけが、まやかしから逃げ出し、HIGHになれるのだ、と加勢されるだけの事実に神は居らず、与えられるものに火を付けるべきだ、と謳う思想こそ、危ういものであるし、過ちを受け止めずに、誤りを正すこともできずに、暴利をむさぼるだけの貪婪なシステムの脂質を生み出し、自らを太らせることにより、何事も受け入れることもできずにはねのけることだけが、正解へと導く鍵なのだ、と見くびる先に現れる結末などは、あてがわれた意味に反するだけの結末であり、そこで渇望するものなどは、物事に偏向することだけを目的に偏りを示すほどに、自らから閉め出され、与えられたものの餌になるために太らされたことに気付かずに、矜恃など捨てて、自らの未熟さにダイブすべきだ、とニヒリストが騙る深夜に構造的なものに排除される理屈を捏ねる光年を隔てる憎しみを帰巣させるためのルサンチマンを過剰摂取した深夜が媒体とすべき対象を求め、自らの怠惰さに異常発生する結末に渇望していくタナトスの先々でほとばしる無残に排除された精神が住まう廃城で堅持されるものなどは、矜恃にも至らずに、ただ恒常的に騒ぎ立てるセカイを保つための戦争から専横され、独占欲が狭い価値を形成し、何かを保つために契約を終え、婚姻という加工からカオスへと至り、討伐されるだけの精神が身体から乖離し、理解を含まずに複製されるだけの自己は事実を遡行し、即席の自由に聖戦を持ち出し、何かを破壊するための原理からためらいを生み、たまゆらになびく未来から、嫌いなものすらもおいしそうに食らう貪婪な合間に背反すべき理由を求め、啓示されるものなどは、そこで答えを持ち寄り、あたかも正しいもののように崇めることから、答えとは意思に退行を生み、貸与されるだけの答えの中で嬲られるだけの敬神から感覚をケロイド化させ、創造性を損なうための答えへと退行させる。犠牲的な深夜に酩酊する君の理屈から逃れ、対する間に補完されるだけの答えなどは、所詮はジレンマを送り込み、精神を混濁させ、後悔などを生み出し、汲み取る自由すらも自由に利用され、自由では無くなるというジレンマに陥られ、時間論にとどまり、労働的な意思は、何かに固陋し、弄する間にひびくアイロニーに引きずられ、どんどん卑近な者に変え、モニュメントと化する間で灰燼になり、軋む身体は暴虐にもてあそばれ、自らを補填するための苦痛を何度も再利用していく。