昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

高揚


 何を信じているかは知らないが、今に押し上げていく意味だけが、いびつな結末に萎靡沈滞せずに、アクセスされるものを蹴散らし、経過していくものが不健康そうに遭難しては、限りあるものを謳うほどに、偶然にとろけ、熱情していく恋の行方や、敷衍していくほどに増えていくジレンマや、時代性に制圧され、現代的な病魔に冒される間に徒労を続けるつたない意識は、汚いものを覆い隠すための正しさを拡散し、攪拌される半径に暗示される正しさをうながし、ただ何かを語ることだけが、正しいことを認識し、あらがう者として崇められることだけを目的に自らを神に仕立て上げ、奉られるほどに互いをとがめるだけの理想は、誰かの偶感に偽装され、正しさを連呼し、そこで呼応されるものだけが、正しいものとして崇められることだけを目的とする信仰的な哀れから逃れ、そこで同情を求め、情報へと捉えられ磔にされるだけの心身に真理は損なわれ、超克できずに、出来合のものを愛し、捕獲されるだけの君は、君の意味を知る事無く、他者から借りた位置的な正しさを崇め、あいまいなままに信用する正しさ故に結末は、ただ延々と現在を引きずり、卑近なことを語りながら、答え合わせすることだけに必死で、デリカシーも無く配慮を求めるだけの緩慢な示唆から支配的な構造へと憎悪を語りながら、退廃的に樹立される受動的な敬神から形成されるものをかぶりながら、快活さを損ない、そこかしこに現れる空疎なものを崇める。対立を続ける孤立した精神は、自らの孤独に耐えかねずに、ルサンチマンにおちいり、自らの現状を呪うことにより、より強化されていく他者への憎悪から自らの像を破壊すべく、すべての対象に憎悪を向け、自らが生み出した苦しみであるのに、環境や社会に向けられる憎悪は、何が悪かもわからずに、正しいとされるものに反することもできず、自ら生んだ過ちをとがめずに、自らを作り上げたように仕向けた正しさに憎悪を向けずに、ただ現れるものにあらがうほどに自らが生み出す苦しみとは加速し、枷に変わり、互いをとがめるだけの理想は、理性を損なわせ、そこで制されるだけに至り、抑圧され続ける精神は、孤独感を増していき、自らを解放できずに、自らの中で潰瘍を生み出し、その傷を引っ掻き続ける内心で改心を求めるだけの排斥できずに、背信に至らずに、配信されるものを信用するだけの自我も持たずに、ただうながされるものに流されることが、自らを正しく導くのだ、と密接さを勘違いし、みすぼらしい今を愛する枢要さだけが、今を裁きにかけ自らの正義を正すこともしないで、何かを正そうと強制的に仕向け、支援し、私怨を隠し、自らの正しさ故に、疎外されるべきであるし、罪を償うべきである、と正しくあることだけが、正しさを示唆し、今を支配するのだ、という誤りから逃れられずに、自らの苦しみを乱用し、乱獲されるだけの精神は、敬神へと至り、自らを信用できずに、何かを信仰することで、自らを制するのだ、という誤りから逃れられずに、今に苦しみを加工し、硬化していく精神は、枯渇しても尚、何かを求めることは誤りであり、そこで過ちを生み出すのだ、と今に苦しみを互換していくだけの軋轢から昇華できずに、苦しみを横柄にもみ消すために絶えず侵攻してくる苦しみを排除できずに、意地汚く意味を崇めるために正しさを用い、構築されるものだけが、ここで正しさを用い、求められる愛へと帰巣するために偽装され、今に制される意味に軽薄なものをもたらし、記号化するだけのアンニュイな世界で競合するために機械的で低劣なものをたずさえ、あいまいなプロセスに打ち立てられるものを信心し、快活さを損ないながら、自らの苦しみが仮想するものの中での普通を演じる。がんじがらめの機能から逃れるために気配を隠し、統合されずに、盗用もされずに、応じるものに関さず、反することの孤独をよろこび、恍惚に浸るよりも、狡猾に強請るよりも、粘ることをよろこび、高じる者を蔑む暇も無く、暇をもてあそびながら、用いられる限度などは、誰かが定めたものだし、出し抜けるよりも、打算される前に加算される要理に反し、緩衝を求めるよりも、ぶつかり傷ついても尚、自らであることに定めすら用いずに、与えられるダメージなどはつゆ知らず、追憶に貧するだけのまがい物の不安や恐怖などに屈するほどに魯鈍な者であるべく、司るものに追跡され、追従すべきである、となだめられることに耳を貸さず、加算される原理などは、理性を損なわせ、暴力的に至るべきだ、と説得し、私と同じようにあるべきだ、とあらがうものに反する者こそ怪しむべきである。