昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

むしばまれる前の愛


 悠遠に配布される小さな憂鬱を拾い集める彼女の慟哭がふりそそぎ、体感するほどにとけあう感情が吐血し、さらなる悲しみを敷衍させるの、と嘆く前にひろがる青空がほろ苦く、革命的な融合を求め、快癒する今にも人波にさらわれ、自らを見失う限りに見捨てられるだけの世界などを認識する以前に是認すべき自分を正すためだけに、ただすがるだけの統合から、徒党を組むことにより、あらがうことが暴力的であるがために集い、ぬいつけられるだけの輩が騒ぎ立てることを否定的に捉えるよりも、そこで要理とされるものにあらがうよりも、あてがわれただけに満たないものが汚い、と騙る以前に加護されるものなどに論難をあびせ、汚染されているだけに満たない低劣さを批難するよりも、ここで悲観せずに、我関せず、とかねあいを求めるよりも、加算されるだけに満たない数字として認識されるだけの価値を表すだけに満たない計算的な予言を繰り返すだけのネットワークが保持するものなどは、ここで仮説を立て、そこで証明されるものが善悪を用い、運命を操作するだけに至るような機械的な暗示から戦争的な憂鬱に浸る彼女たちの道理にみちびかれ、世界とは悲観するために認識されるだけのツールとして存在するのだ、という誤りを正せずに、自らを偶像として捉えるほどに、存在とは自らの軽薄さにより、その存在の軽さの中での信仰を高め、自らを誤りにみちびき、自らを信用できずに、歴史の中で出来合のものを崇めることだけが、自らの強度を高め、その存在の軽薄さを書き換えるためのコードを与えられ、自らに課せる義務が呪文のようにふりそそぎ、複製されるだけの真実が制度を用い、清潔感を保つために抑圧される精神は、自らを抑圧するほどに圧殺されぬように、と反発を続け、けたたましく吠える内心で乖離していく精神は、邪推を続け、暗示されぬように、と抵抗を続けるほどに、自らを見失い、損ない続ける精神は、敬神に至り、有らぬ神を有するように強請り続ける現実に固執するほどに、時間に置いて行かれ、自らに課せるための憎悪により、他者や世界との軋轢を生み出し、相反する限りに相似していくものとの同族嫌悪を続け、同調するほどに、同じようなものを似たように愛し、似たように憎しみ、似ているほどに屠る。放浪し続ける精神は、正否を求めずに、何かとの愛を瞬時に深め、瞬時に終え、次々につぎはぎになる瞬間を同時的に終わられ、多発するだけの現状が刻刻と迫り、せめぎ合う今から抜け出し、惰性なものに支配される以前に、ここで終わりと始まりがまじわる限りにはじまるものも、おわるものも同じような場所で隠滅し、同じような場所を用いる限りに、そこでの永遠に嵌まり込み、自らをがんじがらめにするだけに至らせるような概念などのいっさいは捨て去るという認識を用いる限りに、終えるという義務的で消耗するだけに至らせるような観念を生み出し、自らを概念の中で屠り、蓋然性に捕らえ、永久に抜け出せないように仕向けるようなシステムに統合させるために暗示を続ける善悪を植え付けられ、運命論に裁かれるだけのたばかる者どもの不潔さに捕らえられ、自らを未熟なままに生のままに措置され、名前を与えられ、そこでとどまることだけが、ここでの方法であり、そこで生きるとは、生かされているのだ、という独善的な言葉に支配され、忍従することだけが、認識するための手立てであり、そこで屈従することだけが、自らを正すことであるのだ、という法的なまやかしから独裁的な利権から、権利を用い、強者を損なわせるための革命や、何かを勝ち取るためにやかましくつきまとうだけの隷属的な奴隷からドレスアップされているほどに、内面とは醜いものである、という統一的な幻想から、原理的なものに措置されるものが用いるアルカロイドにより麻痺した精神は敬神を愛するのだ、というやましさに依存しているだけに満たないルサンチマンの犬や、淫靡な結末に屠られるだけのニヒリストや、貧するほどに価値の家畜になるのだ、と叫ぶほどに、自らを権力の犬に変えるだけの緩慢な作用が用いるほころびに与えられる砲弾から、法理に囲われるほどに枯渇するのだ、と騙る悪意こそが正義に正体である、と止揚することもできずに、そこで滅びる運命なのだ、と段々に迫る否定的な自己に凍てつき、そこで凝り固まるだけに至るような精神などが悲観するだけの未来などは、時間と空間にとどまるか、時間と空間に持ち寄る永遠により自らを疎外させるかの二択に迫られ、自らを苦しめることだけに専念するようなマゾヒズムが蔓延し、漫然と現れる道理に姑息なものが修復を願うほどに、祝福される者をとがめるための理想が繁栄し、蔓延る悪意は、独善的な正義により利己的に呼吸を続け、故郷を奪うために歴史を偽造し、誰もが違うところから生まれ、互いを憎むように仕向けるような法で囲われた世界などに、この命を操作され、奪われるわけにはいかないの、だという思いすらも生み出す前にまじわることから、ここでの愛は、騙られる以前に、君に介するほどに立体的になり、あらゆるためらいや抗いすらも昇華させるような純粋さだけが、愛と呼ばれむしばまれる前にはじまるものだけが、語られるだけの愛を超える。