昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

作られた事実

退屈なものを模倣し、あたかも自分のように示すような強度を保つための戦争から、根底を覆すようなほほえみを用いても、権力には勝ち目はないのよ、となだめるだけの傍観者どもに背くために私とは存在しているのだろうし、いずれかは老化するために悲観するような陥穽を用い、何かを嵌め込むことで、おとしいれることで、何かを保とうと悶えているだけに満たずに、満ち足りないから、と関係性に阻害されるための後悔を率いて、そこで示されるものに閉め出されるだけの堕落から、緩慢に作用するものが示唆し、支配するほどに進路とは妨害され、寛容さを損ない、喪失感にただれるだけの誰かの師範的な模造品を集めるだけの収集家たちがうながす短絡的な快楽のマシーンとして、情報に錯綜するだけの無神経な虫けらどものワルツが騒ぎ立てる現時点から、解放を謳うだけの高次に浸るだけの終末論的哲学者どもの空疎な素数から、走馬灯をめぐる進化の旅でのたれ死ぬような巻末に当たり散らす私は、齟齬するものや、ちぐはぐなノイズと踊り、高慢なままに独裁的な主観から、史観を汚すための高濃度汚染から、行動と同化するための道化として、そつなく破壊するアニマティズムが屠る現在に科学的な要素などは排除すべきだ、と排外主義的な暗い通り道に意味すら損ない、通り雨にぬらされ、ふるえる身体を抱き合わせて温めるものすら居ないから、いくばくかの苦悩などは、治外法権的な論理が救出するために途端にふるさとを失い、相姦されるだけのフラクタルな身体として、同族嫌悪を生み出す観念論者が羊飼いとして、同じ夢を見て、同じ運命を渡ろう!!とうながすほどにうながされる者の快楽は増していく仕組みであるし、やがて勝つ者も負ける者も羽交い締めにされ、磔にされるだろうし、老化する身体は死から遠ざかり、いちばん激しい動機を用いて、創造的な昇華をとげるために藝術的に生きるのであろうし、古びた青を塗りたくった絵画的なシニシズムをかかえた私は、いつしか、この苦しみを生み出すだけのウイルスがばらまく折檻的な瞬間に織り込まれる苦悩を退治し、対比されることもなく、短絡的な同化だけが、この痛みから解放するなどとうながすような快楽主義的な横溢から、散漫な儀式で分裂的に排除される結末から、感応するものなどは、ただ緩衝するための契約を終え、貧相な婚姻へと巻き込まれていき、逸脱することすらゆるされずに、ゆるしがたいものを措置し、自らを許すための敵意を加速させるための枷を嵌め、絵空事を吐き出すだけの背反から、配合される先に傲岸不遜な者ばかりがバランスを謳い、絶え間ないためらいを生み、誰もが何かを変えたがるから、何も代え難いものに変わるのであるし、やがて、互いをとがめるための理想は、理性すらも踏みつぶし、何かを排除するための技法として、契合されるための気だるい描写に現れるたるんだ身体にぬかるんだ意思から、いびつな精神が持ち出す主義的なまがい物から、思想的な汚穢に相似していくほどに酷使している身体は破壊し尽くされ、つくづくに応じるための権力を牽引するためのマシーンとして、善と悪を屠るための狂気をかかえたニヒリズムを肥大化させた化け物として、情報を操作し、何かを淘汰するためのシステムの亡者として、背くほどに増していく快楽の階段を嬉嬉としてのぼるサイコパスとして、おざなりな風景に織り込まれる究極的な幻想にかじかむ刹那に流動していく依存的な警報をうながし、端末化される心情は携帯されるためだけに備わる物として、何かと同時的に扱われることに葬られるための利権を絡める現在に加工され続ける品位で貧困化するための機能だけが体制の中で定められていく。