昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

孤独な輪唱


 電子回路を狂わせるような結末が迫り、偽物の価値を崇める信仰者たちは、開裂していく夜に連綿たる憎悪を吐き出し、存在すらも破綻に追いやり、破滅的な日常に迫る様相をミンチに変えるような的確な衝動から、短絡的に濁るための終幕を用意し、暗澹とした心情に能動していくための定期的なけだるさを与えるだけの退廃的な余韻から、インタラクティブに措置される空間から移行し、行為元々が生み出す刹那から、快活な動機を失い、相違するための連絡を続ける体系的なモジュールから離反し、配備される間などにそぐうための価値などは、すべての動機をこなごなに変えるための記号として存在するための存在として、気配を隠すほどに攪拌される半径に求められる答えとしての答えとして、支配されるための義務を謳い、果てるだけの人工的な楽園を用意したボードレールの麻痺した脳内が描く瞬間的な悪意にみちびかれた人間どもの卑怯さを描いた物物しい影と、思惟するほどに、ゆがんだ思想を生み出し、汲み取る意味も、みちびかれるための神を製造するための機械としての役目を終えるための人間をゆがませるための人間として、機械的な収容所で羊飼いとしての幽遠で切り取られるだけの役目を終えるためだけに用意された現在に締結していく瞬間的な割合に潜む悪意を加速させるための悪を捏造する正義の犠牲として、ここで現実味を消失し、陥落するための瞬間に帰巣するための苦しみを巻き込む存在から、感覚を損ない、対価を求めるための機能を絶えず加速させるための存在として、喪失感に苦しみ、聖域を偽装し、あいまいなマインドが措置する空腹に絶えるほどに、怠惰なままに、ままならぬ心情が逃避し続ける先に通過し、追加されるための心情に合否を伝えるだけの記号的な夜に要因は消え去る。あらゆる夜を屠るための動機がうながされる。様々な思惑に挫折感を称えるための弱者の答えを敷衍させる強者が牽引する権力により、動機とは、権力によりかかり、自らの意志を損ない、何かの意志により、動かされる者どもの理屈が、つなぎ止める現在に陸地などは存在せず、すぐさま空間を破綻に追いやるためだけに保たれる瞬間などに循環していく思いなどは、回帰する場所を求めるばかりで、そこで卑屈になり、自らを批判的に疎外させるための言葉を兵器利用するような世界や社会や国家などから離れ、ただ自らの意志だけに帰還するような勇気を持たぬ限りに、言葉とは、今を道具に変え、すべてを偶像に変え、自らを処理するための犠牲として供えるための神を捏造し、自らを破棄するために気配を隠し、かいがいしく貪る辺りから、幼稚な仕組みは産まれ、粛清されるための身体を想定し、空腹を癒やすためだけに、空白を埋めるような愛だけが、愛として騙られ、勝ち取る意味などは、善悪をゆがめているにもかかわらず、勝ちさえすれば、価値とはあなたのものだ、とうながすようなコマーシャリズムに犯された戦列から離れ、自ら放つものだけが意志を産み出し、勝ち取るものなどは、価値をすぐさま退廃させるだけに至るし、そこで対価を生み出しても、すべては、退化するために与えられ、現れるものだ、というような価値の中でしか機能しない善悪に対象を生み出され、見出すものとは、未熟なままに現れ、そこであがない、崇めるべきだ、と推奨されるものに支配され、そこで奪われるだけの意識は、何かを買うために寝ずに何かを待ちわび、そこでの幸福を踏みにじってでも、次なるしあわせのために何かを踏みつけることに快感をおぼえ、自らの快楽におぼれ、横暴に示される間につかまつる結末に処理されるための資本主義的なベルトコンベアに運ばれ、快活さを失い、相似する者を恨み、見つからないしあわせを追い求めるために横暴に老いるだけに至らせるような瞬間に収監され、終末論的な倒錯から、等差を生み出し、見出すものすべてを憎悪に染め上げるようなルサンチマンとして、背くほどに増していく快楽に邁進する精神は、現行をたずさえず、ただ未来を生きるためだけの犠牲を生み出す代償を補正するために保身を生み出し、構成されるものに奪われる意識は、運命論的なものを謳い、迎合されるものだけを崇め、追従するほどに、自らの意志と訣別するための儀式的な汎用性だけが、確かなものを認識し、存在に厚みを増させるのだ、という幻想から離れ、自らの意志とは、自らを損なわせるための意識的な疎外感から放たれ、自らの存在をも強調せずに、何かとの同調を踏まえずに、紛争を続けるだけの幼稚な倒錯から、錯雑とした観念に敷衍していく関係すらも必要とせずに、すべてとは、ここにあるものすべてに補完されるためのすべてなどではなく、そこで構築されるものなどのいっさいを持たされる以前に、ここで跳躍し、長じる由縁に注がれる安易な欠乏からも放たれ、持たされる意味などを盲信する以前に、構築されるもののいっさいを破棄し、集約される前にさかのぼり、ここでの終わりを汚穢として謳う以前に、もたらされるもの以前に至ることだけが、本質へと近付く。