昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

君よりも早いし誰よりも早い。


 神という概念を捨てれば、神よりも早くなる。あらゆる観念は、形成される前に神の御導きがあるのではなく、自ら導き出す限り、神よりも早いの、だ。ただわたしの考えこそ、すべてであり、そこに独善的なものを排除し、純粋なエゴイズムが、自らを強調し、何かに対することがないから、敵意すらなく、ただ現れるものを、愛せよ、ではなく、何かに敵対することがないから、何かを強制的に愛する必要すらない。ないものもないから、ねだる必要性もなく、ただひたすら進む様子や、その模様が、単に美しい単一化が進み、あらゆる意味を超越する。やせ細った動物たちの鳴き声がノスタルジーにひびき、貧寒な主観に宿る愛に似たような物質や、短絡的な衝動をたくわえ、動機と同化するために運命をねじ伏せるような人々の高揚感が迫り、寂寞に転化していく思いが誘導されずに離れ離れになり、そこで担うものなどは、似合うように着込まされるだけに至るようなものであるし、ほとんどは、どうでもよいものを模倣するために、本質すらもゆがませられ、世界を狭められるだけに至るような真実などを逍遥し、誘引されるためだけの事実を捏造し、延々と似たようなものや、まやかしを信じ、事実をねじ曲げては、単一化していくものと同化し、高揚感を損ない、喪失感と同一化し、自らの悲しみとは、誰もが私と同じように背負うべきだ、とうながすような悲しみなどは、どれも悲しいように仕向けられ、そこで悲しむべきだ、と強制されるようなセンチメンタルな衝動と同化すべきだ、と路上の彼や彼女たちの卑屈な心情に等閑されるものが簡素な事実と同一化をめざすために自分の内外に与えられるものを現実として認識するほどに誤りや過ちは生まれ、奪い合うための事実は、真意を失い、動機を不純なものに変え、簡単に処理されるほどに織り込まれるものや、行いを正すべきだ、と言い聞かすために事実をねじ曲げ、真実と緩衝できずに衝突を繰り返す存在とは、真実がなんなのかすらもわからないのにもかかわらず、関わり合いを深めるほどに、猥雑な心情に透過させられるための答えにまじわり、あたかも自分が正しいかのように示す間にせめぎ合うアイロニーから、悠揚な史実に関わるほどに、この存在とは、過去からうながされているものがすべてのように仕向けられていくだけに満たないものを確かなものように報じる。こじれる後先や、あいまいに示される隘路でふさぎ込む精神的な規律にせめぎ合うこともできずに、出来合のものを真実として崇めるほどに生まれるジレンマから、禍禍しいものを緩慢に崇めるほどに背反し、対するほどに固執していく思いがゆがんだものを捏造しては、蔑む間に貸与するものや、問答を繰り返すほどに理不尽に迫る文言が精神を孤立させ、効率を求めるほどに安易な衝動は、何かに唱道されるままにみちびかれることだけが、ここで確かなものを有し、あたかも自分が正しい者のように示すことだけが、正しくあるということなのだ、と示すものに使命感などをうながされ、自らをモニュメントに変え、気付いたころには、凝り固まる精神は、正常さを謳うほどに依存的にシーンにからまり、その場から逃れられずに、過去に置いて行かれる悲しみばかりを敷衍させ、些細な出来事がデータし、関連するほどに感染していく過ちの病から、罪を迎合し、確かな価値を足枷に変えるような世界を買い取ることだけが、優越感にひたり、自らを確かなものだ、と認証するような価値こそが、ここでの確かさを生み出すのだ、という幻想から離れ、記号化されるためのためらいから、退廃的な呪詛が破棄されるべきだ、と示す間に攻め入るアイロニーから、判明されるものなどは、どれもハンマーで砕かれるべき事実であるし、人工的なものが示す行為に拘引されるほどに、行為とは、誠実さを謳いばかりで、何も正しくもなければ、求める正しさに正しさなどは存在せず、ただ示唆されるものを真に受け思案するものを安易に案じるほどに、正しさなどは、ただ支配するために何かを操作する凡庸な道具として、偶像を価値として崇めるだけの垂涎し、阿諛者どもが示す答えと同化するための事実と同化し、公序良俗により陵辱を受ける精神は、敬神に浸り、悲観するほどにしたり顔で正しさを発揮する間に監査されるための対象として、絶え間ない恥を受け取るための空虚な身体に補完する機械的な悲観から、貧寒な者が示す正しさを受け取るための空疎な時間に注がれる事案などが価値などを形成し、意識になだれ込む誰かの示唆から、支配されることにより受け取る満足などが延々と退屈な文字を生み出し、安易に暗示し、専横し、洗脳するに至るまでの景色に映じるものが、延々と演繹することも知らずに、ひとつの答えに凝り固まることから、答えとは、正しさを喪失し、自らの過ちに気付かずに、それが正しいと示されることだけが、絶えず正しいのだ、とうながすことによる優越感にひたりきることから、開き直るための正しさなどが示唆することに、何の正しさも存在しない、とまで言える、という正しいことに導くことすら、正しくない、とも言えることに対することすら、正しくもない。